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2024-03
月次報告書3月分
踏ん張りどころ
 ブラジルに来てから2ヶ月が経過した。3月にはキリスト教のイースターがあり、大学の授業が1週間休みになった。そこで自分の勉強に集中することが出来たりもした。今月の大きな変化といえば、大学の授業が本格的に始まったことである。3月15日までは、履修登録期間であったが、一般学生用の授業なので、通常通りの授業が進行される。授業の選択の仕方は日本のものと大きな違いはなく、興味がある授業に参加し、課題や評価方法などを確認して決めていく。また、3月にもなるとブラジル人の友達も増えてくるので、そこで先生の情報だったりを聞いたり、授業の概要についても聞くことでさらに、細かいところまで知ることができる。また、履修を考えている授業にブラジル人の友達がいるとノートを見せてくれたり、授業中にわからないところを教えてもらえるので、一人で受けるときと比べ、内容の理解度が格段に良くなる。    僕は大学の一般の授業を受けるのと並行して、留学生用のポルトガル語の授業を受けることにした。それらの情報はインスタグラムなどで告知され、気づいた時には期限が過ぎていたりと、常にアンテナを張っていなければならなかったので大変だった。僕はたまたまブラジル人の友達に教えてもらい、その存在を知ることが出来たのだが、申し込み期限を過ぎてしまった。しかし、ダメ元で確認しに行ったところなんとか申請することができた。僕が申し込んだ授業はC1という少し難易度が高めのクラスでありそれ以外のレベルのクラスの空きはなかった。また、有料でもあり、4500円で1学期間、授業が開講される。授業内容は、発音などの細かいところから、前置詞の細かいニュアンスの違いなどで、知っているものから以前から疑問に思っていたことなどを学ぶことができている。最初は自分には難しいコースなのでは無いのかと心配していたが、内容は問題なく理解できるので、適正のレベルであったと今は感じている。  また、このポルトガル語のコースの支払いが終わった翌週に、もう一つのポルトガル語コースの開講情報を知り、こちらは無料だということで、少し損した気分であるがこの授業も合わせて受講している。こちらの授業はB1−2のレベルであり、授業で扱う内容がより基礎から始まる印象である。こちらの授業はブラジルに留学に来る学生なら、あまり受ける必要はないように感じているが、まだ数回しか受けていないので断定することはできない。  授業外のことでは、3月の中旬にRNM(在留カード)の申請をするために、ブラジル連邦警察にいった。自分は友達の付き添いと、自分の申請の時と2回行ったのだが、どちらも3〜4時間ぐらい待ったので、それは覚悟していくと幾分の気持ちが楽だと思う。しかし、その日にはカード本体が受けてれるわけではなく、1〜2ヶ月受け取るまでかかるそう。しかし、このカードが無いと、Nubankというオンライン上の銀行口座を作ることが出来ないことに加え、pix という日本で言うpaypayのようなアプリも使用することが出来ない。これらは、友達と割り勘をするときや、家賃を払うときに必要なのでなるべく早く作りたいのだが、現段階では難しい。現金を引き出す時に国際銀行から引き出すため、手数用が700円ほどし、結構痛い出費なのでなんとかしたいところである。  イースター休み明けの最後の週は、ここ2ヶ月間の疲れがどっと出た気がした。1週間の休みは、現時点で分かっている課題などを早めに終わらせるために、隣人のブラジル人と一緒に大学の図書館に籠る生活をしていた。そこで取り掛かり始めた、人類学のテキストの要約の課題はテキストが難しく、二日間を費やして、3ページしか読み進められなかった時は、流石にしばらく何も考えたくなかった。しかし、結果的には友達の助けも借りながらなんとか提出することができた。生活にようやく慣れ始めたが、日々困難に直面し、濃厚な日々を送っている。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
2024-02
今年度のサンパウロ大学の授業開始がストライキなどの影響で早く、前年度や他大学と比べて半月ほど早まっていた。そのこともあり、2月7日に日本を出発したのだが、全ての準備が終わったのは出発前日であった。そのような慌ただしく、準備も万全ではない状態でブラジル、サンパウロに到着して1ヶ月が過ぎたので現地での様子などを書いていきます。 『出発まで』 僕は、最後の黄熱病のワクチン接種が渡航の7日前、ビザを受け取ったのが2日前とドタバタのスケジュールで、出発した。(これは悪い例なので絶対に真似しないで)留学したみんなが言うことだが、留学先の大学から留学許可証が届き、授業開始日がわかったらすぐに、航空券を買う方がいい。航空券がないとビザの発行などができず、最後に慌てる羽目になる。また、サンパウロ大学(USP)に留学したいと考えている人は、一番ネックとなる問題は住居探しだと思う。僕は先輩に聞いたり、FacebookのUSP学生のための住居情報が載ってるアカウントなどを見たが、結局先輩から教えてもらったところにした。AirBnBに対応しており、また大学からも近いので満足している。 『滞在先』 上記したことに加えて、僕が現在滞在しているのは、repúblicaと言われるところで、住んでいる人はUSP学生が多く、 またシャワー、キッチン、トイレ、洗濯機が共同となっている。しかし、部屋にはエアコンがなく、扇風機だけである。大家さんや他の隣人の人たちはいい人たちで、特にトラブルなどなく快適に生活している。 『食事』 食事は大学が始まった現在では学食で昼と夜を食べており、ほとんど料理することはないが、初めの二週間は日本から持ってきたレトルトカレーやレンジで作れるものなどを食べたり、近くのスーパーで買ったりした。最初の2、3日は時差ボケで出かけられないことを考えて、すぐ調理できるものを持っていって正解だったと感じる。現地のポルトガル語に慣れれば買い物などは簡単なので、慣れるまでの間の少しの食糧で十分である。スーパーは野菜やパンなどが安いが、その他の物価はそこまで日本と変わらないと感じる。サンパウロなので大抵のものはあり、日本食も売っている。レストランも値段は700円〜1500円ほどで、やはりこれも日本と変わらない気がする。 『大学』 サンパウロ大学(USP)は留学生への支援などしっかりしている。そのため、問題やわからないことが多々起きても、その都度CCINT(国際戦略部のようなところ)に相談しに行くと解決することができる。そのため、特に学校生活で必要以上に不安に感じる必要なはないと思う。おすすめは対面で直接聞きに行くことで、メールはしばしば対応されないことがあるので注意した方がいい。 授業についても、事前に日本で提出する履修したい授業などは特に関係がなく、二週間ほど興味がある授業を受けられる期間があり、その後に履修登録をする。また授業ごとに先生に留学生であるが、授業に参加できるどうかや、留学生向けの別の評価方法はあるかなどを聞きに行く必要はあるが、ほとんど全ての先生が留学生に理解があり、優しく対応してくれる。 基本的に現地のブラジル人の人と同じ授業を受けるため、授業中は全くわからない。そのため、僕がしていることは、先生の話の中でわからない単語などをノートに書き出し、授業後に調べたり、授業を録音して、振り返るなど工夫はしている。しかし、まだまだ難しく、興味ある分野の話をしているのにも関わらず、わからないというもどかしい状況が続いている。 その中でも、日本文化(歴史)などは比較的理解しやすく、現在では唯一の心休まる授業である。 『友人関係』 これは日本でも難しいのと同じように、ブラジルでも難しいのは当たり前であり、その中で僕は恵まれた方であると思っている。当たり前だが、全ての人とは仲良くなれないので、自分を受け入れてくれる人たちと仲良くしていくのが良いと思う。ブラジル人は冗談が多いのであまり気にしないで、気ままに生きるのが僕のおすすめである。「仲良くなるのも、嫌われるのも、喧嘩するのもここではすごく簡単だ」ということを学んだ1ヶ月だった。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
2023-12
留学成果報告書12月分
ブラジル・サンパウロ留学 まとめ
基本的情報については私の留学報告書に詳しく記載してあるため、 詳しく知りたい方はそこを確認してください。 各月の下の方には留学する方に向けて必要な情報をまとめてあります。 【派遣先大学について】 (1) 基本情報 ・設立年 1934年 ・学生数 約97000人 ・設置学部 哲学、文学、歴史学、社会科学、デザイン学、法学、経済学、出版学、体育とスポーツ学、教育通信学、看護学、舞台芸術学、視覚芸術学、天文学、経営学、建築と都市計画学、ジャーナリズム学、レジャーと観光学、マーケティング学、数学、応用数学、応用ビジネス数学、応用数学と科学計算学、医学、応用獣医学、応用気象学、音楽、栄養学、栄養と代謝学、産科学、海洋学、歯学、教育学、心理学、広告学、化学、国際関係学、広報学、公衆衛生学、情報システム学、作業療法学、テキスタイルとファッション学、観光学、動物科学、統計学、薬学、経済ビジネス学、物理学、計算物理学、医学物理学、理学療法学、言語聴覚療法学、地球科学と環境教育学、地球物理学、地理学、地質学、老年学、環境マネジメント学、公共政策管理学、食品工学、生体システム工学、コンピューター工学、材料工学、材料製造工学、鉱業工学、石油工学、生産工学、電気工学、物理工学、林業工学、機械工学、メカトロニクス工学、冶金工学、海軍工学、化学工学、航空工学、農業工学、環境工学、生物化学工学、土木工学、食品科学、精密科学、物理・生体分子科学、視聴覚学、バイオテクノロジー学、農業科学、数理科学、生物科学、生物医学、会計科学、コンピューターサイエンス学、自然科学、生物医学情報学 ・その他 サンパウロ大学はブラジル最大の研究大学であり、ラテンアメリカで事実上一番難関な大学。 サンパウロ州内に8つのキャンパスがある。公立なため授業料は無料。日系人が14%を占める。 (2) 所属した学部、コース、プログラム等(原語および日本語訳) 文学部(Letras) (3) プログラムの概要 ・履修可能な授業、所属学部選択の制限など 基本的にはすべての授業の履修が許可されている。哲文人間科学部内の授業でも、先生が留学生を受け付けていない可能性もあるため、登録期間に、履修可能か確認する必要がある。 ・学部留学の場合:選択した学部・学科以外の授業を履修できるか 基本的には可能。哲文人間科学部以外の学部でも授業を受けたい場合は、現地での履修登録の際にその学部の留学生課に相談する必要がある。成績処理など管轄が異なる。 ・学部留学の場合:語学コースを並行履修できるか 有料だが可能。 Centro Interdepartamental de Linguasというセンターがあり、そのHPで受講申込ができる。 A1からC1の3つのレベルでの授業がある。(C1は上級者向け) 前期後期それぞれで授業が行われている。 私はC1レベルを受講したが、約3カ月間(週に1回)で計30時間。費用は約R$156(4680円程度)だった。 A1の授業期間は5日間、計10時間。費用はR$132(3960円程度) B1の授業期間は3カ月間、計30時間(週に1回の授業)。費用はR$156(4680円) (4) 大学の雰囲気、留学生や日本からの学生の割合や人数 大学の敷地はとても広く、東京ドーム79個分ある。自然が豊かで、敷地内に博物館なども何個かある。日系員が多く全体生徒数の14%も存在する。日本語を勉強する専攻もあり、日本について興味を持っている人も。 大学内にはバスが通っており、8012、8022、8032のバスであればBUSPというカードを使うと無料で乗ることができる。 日系人が多いからか、留学生と日系人の見分けがつかず、話しかけに来る人達は他大学に比べ少ないように思う。 前期の全体の留学生数は50人くらいだった。そのうち日本人留学生は11人居た。最も多かったのはフランスからの留学生。日本以外の留学生は大体が半年で別の国へ留学しに行くか、自国へと帰っていた。 (5) 課題や試験 ラテンアメリカ最難関と言われるほどあり、間違いなく課題はKUISに比べとてつもなく多いと思う。履修する授業にもよるが、1週間以内に100ページ以上を読まなければならないこともある。試験については、当たり前ながら他言語のため難しい。授業によってはブラジル人と同じ様に試験を受けることは非常に困難であるため、試験内容が発表されたあと「なにか別対応ができないか」を先生に尋ねることが必要である。私の場合は、何も変わらなかったり、採点が少し甘くなったり、一個テストがなくなったり、辞書の持ち込みを許可さり、、などした。 (6) 困ったときに相談できたか、相談窓口はどこか、どのようなサポートを受けられたか 特に大きな相談をするようなことはなかったが、基本的にCCINT(留学生担当の課)にメールか直接連絡すれば最大限に助けてくれる。もしくはおそらくどこかの課を紹介してくれたりするはずである。困ったらCCINT。ただし返信を忘れられてしまう場合もあったため、数日待って返信が来ない場合は再度連絡すること。 (7) オリエンテーション 1年間の留学だったが、前期後期それぞれにオリエンテーションがあった。オリエンテーションでは学生カードがもらえ、色々な手続きについての説明がある。RNM(外国人登録カード)の説明についてもこの日にある。後期のオリエンテーションは、あくまでも新しい留学生のためのものであるため、必須ではないが、無料学食券がもらえるのと新しいお友達作りに良いと思う。 ※学生カードの名前や写真が自分と一致しているかどうかをきちんと確認すること。私は他の方の写真と取り違えられていました。 (8) 履修登録 渡航前にも履修希望調査のようなものがあるが、その際はあまり真剣に履修を悩まないで選択して良い。渡航後にオリエンテーションがあり、その日から2週間自由に授業を見学できる期間がある。(KUISと同じような感じ) 基本的に履修できる授業に制限はなし。ただしその期間中に授業へ行き、先生に自分は留学生だと伝え、履修してよいかどうかを確認する必要がある。2週間を終える頃、Emailで履修登録用のリンクが送られてくる。そのリンクで登録すれば完了。ただし各授業ごとに人数制限があるため早いもの勝ちである。 別の学部の授業を履修する場合、その見学期間にその学部の留学生課を訪ね、用紙をもらい記入する必要がある。上記のリンクでは他学部の履修登録はできないので要注意。 【自身の留学について】 (1) 留学を決意した理由 私は留学自体は中学校の頃に決めていた。しかし留学したい国は決まっていなかった。私は小学校の頃にブラジルのサンパウロに住んでいたのだが、日本に帰国してからブラジルへの興味が自然と強まっていった。当時外国語に興味を持っており、英語以外に何を勉強するのが良いか考えた。そして高校生のとき、大学生になったらブラジルに留学することを決めた。私には将来の夢があり、それが実現するためにはブラジルに留学をすることが必要であると考えていた。ただ言語だけを知っていても、その国に住んだことがないのであればそれはペーパードライバーと同じようなものであると私は考えている。そのため私は実際にまた住んでみて、色々な考えに触れようと決意した。 (2) 留学先を選んだ理由 私がブラジルのサンパウロを選んだ理由は、幼少期の経験が関係する。私は小学二年生の頃(約12年前)にブラジルサンパウロに住んでいた。というのも父が教師で、サンパウロ日本人学校へ文部科学省に3年間派遣されたことにより、私も日本人学校に通うことになったためである。サンパウロは私にとって原点で思い出の地であり、その景色をもっと鮮明に、そして今のサンパウロとブラジル人を知るためにこの地を選んだ。そしてUSPはラテンアメリカで最難関と言われるほどの大学で、私が興味を示していた「心理学」と「言語心理学」を学べる場所もあるというのも理由の一つである。治安が悪いで有名なサンパウロだが、日本人も多い。私は実際に生きて帰ってきたという幼少期の経験から、サンパウロでも危機管理を徹底すれば、やむを得ない場合大丈夫だとそう思ったためサンパウロに留学することを決めた。 (3) 留学のためにした準備/しておけば良かったと思う準備(学習面) 私は留学のために、できるだけ単位を取っておくようにと考えていた。またもちろん留学すると決めているからには、授業は休まず真剣に受講し、成績もできるだけ取れるようにと心がけていたつもりである。また1年時の頃からMULCのチャットタイムには週1回必ず参加していた。そのおかげで私は留学し始めの頃に「ブラジル人は話すのが速い」ということで悩まなかった。その他にも学内の暗唱大会に参加したり、ウチナーンチュ大会でのポルトガル語を使用したボランティアにも参加した。 また、留学先で受けたいと考えている授業の分野については、予め日本語で勉強しておいた。日本語でもわからない内容であれば、その国の言語ではなおさらわからないためである。しっかりと、でなくとも大まかには理解しておくと、現地で勉強しやすくなると私は思う。 私はもちろんポルトガル語に関して、聞く練習や読む練習など全てにおいてもっとやっておくべきだったと思う。しかしながら私がもっと勉強しておくべきだったと感じたのは英語である。ポルトガル語が話せないのであれば、英語を話せば通じるのだが、私はうまく話せなかった。というのも私はポルトガル語にばかり熱が入ってしまい、留学前の最後の頃は若干英語が疎かになっていたからである。そのせいか英語が頭に出てこず、喋ることができなかった。ポルトガル語も英語も少ししか話せないとなると、友達作りも難しくなってくる。またどの言語を話すにしても、「難しい言葉を自分が分かる言葉に置き換えて話す」という力は非常に大事だと思う。ポルトガル語よりも先に、まずそれを第1段階の英語でできていなかったため非常に苦労した。別言語ではあるが、英語ができていれば外国語の話し方や、聞き方、読み方など「方法」ですごく役立つのだと感じた。 要するにブラジルに留学する人たちは、どちらかに偏らずMULCとSALCで会話練習を行うべきだと私は思う。 (4) 留学のためにした準備/しておけば良かったと思う準備(生活面) 私は高校の頃に既にブラジル留学を決めていたため、アルバイトでコツコツ貯金をしていた。結局のところ留学終盤から少し金銭面的にきつくなってしまったが、アルバイトを頑張っていたからこそ(もちろん学業優先で)まだ終盤で済んだのだと思う。もう既に留学を決めているのであればちょっとずつでも貯めておくと良いかもしれない。 またブラジルには日本の文化に興味のある人がたくさんいる。特にアニメや漫画である。USPの日本語専攻のほとんどの学生はアニメや漫画好きだったように思う。私は特に漫画やアニメを良く知らなかったため、話題作りやそれらの話を振られたときにうまく返すことができなかった。歴史と同様、アニメや漫画についても、「日本人だから知っている」という前提で話しかけてくるので、時間があるのであれば有名どころはおさえておいたほうが良いかも。 そして私が1番にしておくべきだと思う準備は、自らのコミュニケーションの取り方をより良くすることである。日本で日本人と日本語で話す時にできないことは、留学中に急に行おうとしてもできない。そのため日本にいる時から留学中のことを少しでもイメージして行動しておくと良い。 (5) 留学中の交友関係 留学中の交友関係で一番広まりやすいなと感じたのは部活とスポーツの授業である。部活とスポーツの授業は、授業に比べ周りの人と話す機会が多い。私は前期のはじめ、授業しか受けていなかったため、なかなか交友関係が広まりにくかった。しかし陸上部に入り、後期にはスポーツの授業を履修すると、周りの人と会話する機会も増え、友人も増えた。スポーツを行っている人たちは基本的には社交的なが多いため、友達作りにはおすすめである。 (6) 授業についての全般的な感想、学んだこと USPでの授業は、入退出が自由である。普通に遅刻してくる生徒もいるし、授業の途中で抜けてしまう人もいる。飲食は自由のようではあったが、流石にお菓子を食べている人は居なかった。 出席は、紙にサインすることで出席とされる。リストが毎授業回ってくるので、そこにサインすれば良い。各学期の最初の方、留学生はまだリストに名前が追加されていないため、自分で付け足す必要がある。WhatsAppには各授業のグループが存在し、その中で「リストはもう回った?」や「私の分サインしといてくれない?」などわちゃわちゃしているため、リストがまわったかまわってないかはそこで確認できる。 日本の授業に比べ、サンパウロ大学の授業での生徒の態度は積極的だった。皆手を上げて質問をするし、生徒同士で意見を交わしたりする。先生がなにか問いかけると、誰かは必ず発言する。KUISの一部の授業のように無言の時間が存在しない。この積極性は本当に見習うべきであるし、こうであらなければならないとさえ感じた。特に日本はお金を払って大学に行っているので、授業の時間は貪欲に使うべきであると私は思う。 ブラジル人の視点で教えられる授業たちはどれも興味深くて、私が共感できることもあれば、違うなあと感じることもあった。 日本とは異なり、ストライキで授業がなくなることも頻繁にあるため、授業が始まったら同じ授業のブラジル人に聞いてWhatsAppグループに入り、授業があるかないか通知を確認すると良い。 (7) 授業外で参加した活動 私は陸上部に所属したり、沢山のボランティアに参加したりした。 ・陸上部 各学部に各部活がある。FFLCHの陸上部にはインスタグラムアカウントがあったためそのアカウントにDMで話しかけた。練習時間を教えてもらい、「その時間に来るだけでもう参加できるよ!」と言われたため、時間通りに行き練習に参加した。周りのブラジル人に聞けば、アカウントや練習時間を知っていると思うので、聞いてみることをおすすめする。 ・ボランティア 私が沢山のボランティアに参加するきっかけとなったのはすべて日本人である。サンパウロには留学生の会というものが存在し、それを取り仕切っている味の素の駐在員さんがきっかけで、日本祭りのボランティアや卓球バレーのボランティアなどをすることができた。留学をすれば、必ず留学生の会の情報が流れてくると思うので、それに参加し、ボランティアに参加したい人は聞いてみると良い。 (8) 授業外の活動についての全般的な感想、学んだこと 留学生活での学びの多くは、私が行ってきたボランティアの数々によるものだと思う。私は基本的に選ばずにボランティアを行ってきた。よって多種多様な経験をすることができ、自分の新たな一面を知ることもできた。大学生のうちに色々な経験をしておくと、多方面からの考え方や経験が身につくためとても良いと思う。 (9) 留学で達成した最も大きなこと 私が留学で達成した最も大きなことはポルトガル語の能力だと思う。話すことも聞くことも成長した。 これは留学生ほぼみんなが達成するであろうことだと思うため、あえて私は「自分について知った」ということについて述べたい。私は正直なところ、留学するまで自分について知らなかったし知ろうとしていなかった。もちろんある程度は知っていて、何も知らなかったわけではない。私は留学期間中、かなり悩むことがあった。自分の行動について反省したり、自分以外の人によって傷つけられ夜も眠れない日もあった。また、日本にいるときよりも様々な考え方に触れることで、比較対象が増え、自分について考えるようになった。悩むべきことは一度立ち止まってしっかり悩むことで自分について段々と分かってきたように思う。何が得意で、何が不得意なのか、こういったときにこう行動してしまうのが自分で、どうしなければならないのか。などなど、留学生活を行ったからこそ見えてきたのだと私は思う。 (10) 今後どのような学習を継続していきたいか 私は留学はあくまでもはじまり、もしくは通過点に過ぎないと思っているため、日本に帰ってからは今以上に言語学習に取り組みたいと思う。日本に帰ったら、必然とポルトガル語に触れる機会は減る。そうした中で私はMULCのチャットタイムを利用する以外にも、空いている時間にはアプリを利用してブラジル人と会話をしたり、ポルトガル語を聞いたりしたい。そうすることによって、今と同じくらいポルトガル語を使用できると思う。またCELPEBRASという試験もあるためその試験に向けても上記の方法を利用して勉強していきたいと思う。 【渡航・滞在先住居について】 (1) 派遣先への出願 交換留学であれば国際戦略部の方が案内してくださると思うので、それに従い、期日を守るようにすれば問題ないと思う。またCCINT(USPの留学課)の方に対してのメールも、できるだけ失礼のないように心がける必要がある。しかし相手側はこちらが外国人であるということを知っていて、まだポルトガル語を自由に操ることができないことも知っているため、言語面で心配する必要はない。 (2) ビザ申請 ドルのレートによって預金しなければならない額が異なる。通常100万円預金されていればOKだとされているが、私の時期は135万円以上必要だと指摘された。ビザ申請を行う前に念のため確認しておくとよい。ビザ発行には1週間程度かかった。もちろんこれは時期によって変わるため、1ヶ月かかることもあるそう。 帰りの航空券を購入していないと、授業期間が終わってすぐまでのVISAとなるため、帰りの航空券を購入しておくと、余裕を持った期間のVISAが発行されるかもしれない。 (3) 航空券を予約した方法 私はemiratesが良いと思ったため公式サイトを利用してドバイ経由の航空券を購入した。Skycannerでは航空券の値段を比較できるため、そこを見てみても良いかもしれない。また、航空券は早めに買ったほうが格段に安く購入できる。そして日付変更可能な券を購入しておくと、なにかあった際に手数料無しで変更できたりするため念には念をでそちらを選択しても良いかもしれない。 (4) 渡航したルート エミレーツ航空 成田国際空港→ドバイ国際空港→グアルーリョス空港(サンパウロ) グアルーリョス空港(サンパウロ)→ドバイ国際空港→成田国際空港 (5) 最寄りの空港から大学または住居までの移動 住居まではiFriends(USPの留学生サポーター)がUberタクシーを呼んでくれ、車に乗って行った。 出願の際にiFriendsをお願いするか否かの欄があるため、お願いしたほうが色々と助けてくれるため良い。出願後しばらくして連絡が来るため、お迎えにこれるかどうかは早めに確認するように。 もし来てもらえない場合、私と同様にUberタクシーを呼び住居へ向かうか、もしくは側にとまっているタクシーの運転手にお願いする事もできる。Uberではなく普通のタクシーであると、値段も高い上に不当に請求される可能性もある。また行き先なども口頭で正確に伝えなければならないため、Uberタクシーを呼ぶことをおすすめする。ただし、グアルーリョス空港のWiFiがうまく機能しないこともあるため、そういった場合は普通のタクシーを利用するか、地下鉄を利用しなければならない。 地下鉄の場合、まず空港からCPTM(電車)までの無料バスに乗る。そしてCPTMのチケット売り場でチケットを購入し、Luzまで乗車。USPの近くに住んでいる場合は黄色い4番の電車に乗り換え(無料)、Butantaまで乗車。そこから徒歩かタクシーで移動。ができる。 しかし時間帯によってはとっても危険で、且つ時間もかかり疲れているので、お金を出してでもタクシーで住居へ向かった方が良い。 (6) 滞在先住居を探した方法 サンパウロ大学の寮はない。そのため自分で探す必要がある。いつ探したか、探し方については私の留学報告書の序盤の月の下の方に詳しくまとめてあるため、それを見てほしい。 簡潔に書くと、私は現地の状況を実際に目で見て把握するために、はじめはAirbnbで1ヶ月住む住居を探した。その後結局のところ忙しくなってしまって、住居が決められず1ヶ月以上滞在を延長した。その時点で4月になってしまい、Facebookのグループで部屋を探していても空きが出た住居はもう埋まってしまっていた。残っているのはあまり良くない大家さんが管理している住居か、ルールがとても厳しい住居、家賃が高い住居、治安の悪い地域の住居であった。私のように現地を見てから決めたい人は、次の住居探しは遅くとも3月には終わらせた方が良い。結局住むことになった部屋はSHARE BUTANTAというUSPの学生だけが住んでいるマンションである。(https://sharesl.com.br/en/unidades/butanta) ・住居探しには、下記のサイトが使える Airbnb (https://www.airbnb.jp/) Facebookのグループ Republicas somente USP Butanta(https://www.facebook.com/groups/859685467477681/) Republicas da USP(https://www.facebook.com/groups/republicasdausp/) (7) 滞在先住居についての詳細 (費用の支払い方法、設備や備品は何があったか、メンテンスの状態など) 私は合計3つの住居に住んだ。 ①Airbnbの物件 住居費用に光熱費などはすべて込み。支払い方法は、アプリでクレジット払いだった。 キッチン、洗濯機は共用。基本的にすべて揃っていた。何があるかは事前にアプリやサイトで確認できる。 ②SHARE BUTANTA 住居費用に光熱費などはすべて込み。支払い方法はクレジットで、毎月メールで支払いのためのリンクが送られてくる。私が住んだ部屋のタイプは1つのアパートを4人でわけるもの。キッチン、お風呂やトイレは共用。個室あり。の部屋だった。この住居も何があるかは事前に把握することができる。洗濯するのには別途でお金がかかる。家賃がすごく高いが、その分施設が整っており、ブラジルでは珍しいエアコン付き、プールやシュハスケイラ、ジム、スタディールームなどがある。ドアマンもいて、顔認証の鍵となっているためセキュリティはバッチリ。 ③Airbnbの物件 住居費用に光熱費などはすべて込み。支払い方法は、アプリでクレジット払いだった。 キッチン、洗濯機は共用。基本的にすべて揃っていた。何があるかは事前にアプリやサイトで確認できる。 (8) 滞在先についての感想、アドバイス (どのような生活をするべきか、何を持っていくべきかなど) 上記に書いた通り、現地をみてから住む場所を決めても良いが、早めに住居探しをすること。P2、P3のVila indianaという地域に住むのは危ないためできるだけ避けた方が良い。P1の近く、Butantãという地域は比較的安全で、人通りも多いため非常におすすめ。 契約無しで住める物件もあるため、もしその物件が空いているのであればそこをおすすめする。というのも、やはり生活習慣が異なるので、本格的に悩む前に都合よく住居を変えれるからである。また、もしお金があるのであれば、エアコン付きの部屋のほうが良いのかもしれない。理由としては夏は想像以上に暑く、部屋に扇風機を置いていても暑いという話を友人から聞いていたため。しかしエアコンがある部屋は稀で高価である。渡航したばかりのときは余裕もないため、手持ち扇風機を持っていくと部屋で涼めて便利である。ゴキブリはたくさんいるので、ゴキブリ退治の製品を持っていくと役立つかも。 【滞在国・地域での生活について】 (1) 現地での支払方法や現金の調達 (どの支払い方法を主に使用していたか、現金をどうやって引き出したか、日本からどうやって送金したか、クレジットカードはどの程度使用できるかなど) 支払い方法は主にクレジットを利用していた。ブラジルで使いものにならないものもある。(特にイオンなど) EPOSカードが一番使えて良い。発行にも時間がかからない。 またブラジルではPixというPayPayに似たようなものがある。Pixはそれぞれの銀行口座に付帯しているため、口座さえ開設すれば自由に使用することができる。Pixでの支払いでは、電話番号やCPF、QRコード、URコードが使える。スマホひとつで行えるためとても便利。 ブラジルでの口座開設はNubankが一番簡単で便利だと思う。これはネット銀行で、RNMカードさえあれば最短10分で開設することができる。留学生はほとんどこれを使用していた。Pixも付帯。 Nubankに送金するために、Wisというアプリを使用する。これは国際送金ができるアプリである。手数料もそう高くなく、スマホひとつでできるためとても楽である。Wiseはデビットカードとしても利用することができる。 ブラジルでのキャッシングは、NubankやWiseのカードで行うのが一番良い。クレジットカードでのキャッシングは無駄に手数料がかかる。一方上記2つは手数料がかからない。 Nubankは24時間ATMでのみキャッシングができる。Wiseは基本どこの銀行でもキャッシングができる。 (2) 携帯電話 ブラジルではVIVO、TIM、Claroの3つの会社が有名である。 私はVIVOという会社のSIMカードを服屋さんで購入した。「え?」と思う人もいるかもしれないが、ブラジルではどこでもSIMカードが買える。しかし、できるだけ道端で売っているものは安心できないため買わない方が良い。 私は音声に従って適当に設定していたら、設定が完了していたため、どうやってセッティングするかはブラジル人の友達やiFriendsに聞いたほうが良い。 プランは契約してまとめて支払うもの、使った分だけ支払うもの、使おうと思っている分を事前に支払うものの3種類ある。無駄なく使うために、私は使う分を事前に支払うプラン(pre pago)を選択した。 国際電話について。 現地の電話会社だと高く付くと思い、私はViberというアプリを使ってを電話している。このアプリでは日本相手なら$2.99で100分電話できるため、手続きも楽で安くて時間もたっぷりありちょうどよい。 (3) インターネット キャンパス内のWiFiは基本強いと思う。登録方法は、オリエンテーション後にもらえる資料の中に書いてある。街中では、田舎になればなるほど通じるネット回線が限られていく。基本的に、生活圏内では問題ないと思う。私はVIVO推し。 (4) 医療 私は高熱と肉離れで病院のお世話になった。 留学の際は海外保険に入ると思うので、何かあったら海外保険の方が迅速に対処してくださる。私が行った病院はEnkyoという日系病院で、リベルダージにある。とても近いし、日本語も通じて良い。 海外保険についてや病院について詳しくは私の10月留学報告書に書いてある。 (5) 日本から持っていくべきもの ファブリーズ(サンパウロで見たことがない)、手持ち扇風機、充電器、モバイルバッテリー(高品質なもの)、ムヒ、虫よけ、常備薬(一年間で必要な分全部)、レンジで炊飯できるもの(ちびくろちゃん)は必要だと思う。 日本食や大まかな日本の製品に関しては、高いがサンパウロのリベルダージに沢山売っている。ダイソーもあり、100円ではないが約3倍の値段で日本から輸入されたものが売っている。 もし持っていけるのであれば、日本の水筒を持っていったほうが、保冷保温ができて良い。日本のような高品質なものはブラジルにはない。あったとしてもとても高い。 安全対策として、立派なお財布は持ってきていない。安いお財布を持ってくるようにした。また、クレジットのスキミングなどがあるため、スキミング防止のケースに入れて持ち運んでいる。そして服の中に隠すことのできるセキュリティポーチも持ってきた。クレジットやお金などはここに隠して持ち歩いていた。 その他詳しくは私の留学報告書の各月の下の方にまとめてあるが、日本に関するものなどは思ったよりもサンパウロになんでもあるため安心して良い。 (6) 治安状況 ブラジル、サンパウロなので基本治安は悪い。しかし生活していけば徐々に自然に危機管理ができるようになる。そのため、意外と暮らしてみれば、想像しているよりも過ごしやすいかもしれない。 強盗、スリが特に多い。その情報については大使館や領事館からのメールで確認していた。対策としてはよく流れてくる危ない地域に行かないこと、なるべく暗い時間に一人で歩かないこと、速歩きすること、都度後ろや周りをみることである。夜中に移動しなければならないときは、Uberタクシーを利用するべき。 LuzやSé、Republicaという地域で1人で絶対に歩かないように。 初めての場所やちょっと心配だなと思ったときは、荷物は最小限にし、服の下に隠せるセキュリティーポーチを利用した。また現金は分散させて持ち歩いていた。 (7) 食事 大学がある日以外の食事は基本自炊をしていた。日本の調味料がリベルダージで買えるため、そこで購入して揃えた。大学の学食はとても安いため、できる限り学食で食べたほうが安上がりになる。朝は50センターボス(15円ほど)、昼と夜は2レアル(60円ほど)で食べることができる。支払いはデジタル学生証に現金またはpixでチャージし、それを入り口でスキャンすると学食を使うことができる。 外食は基本的に1000円は超えると思って良い。SUKIYA(すき家)は色々な箇所にあり、その他日本食もパウリスタ通り付近やリベルダージで食べることができる。相場は1000円から3500円ほど。 (8) 情報の入手 プライベートに関しては、インターネットでブログなどを書いている方がいるため、それを見るとかなり参考になる。もしくはインスタグラム、Facebookなど。大学に関してはWhatsAppグループやEmail。 (9) 特筆すべき文化や習慣の違い、気を付けるべき点 挨拶、お礼は必ずすること。日本のように気を使ったりしないことが多いため、言ってはいけない冗談を普通に言うため戸惑うかもしれないが、それが文化でありブラジル人にとっては普通。基本的に感情は表にでていてわかりやすいため、店員さんの機嫌が悪そうでもあまり気にしないこと。日本のように察してはくれないので、言いたいことははっきりと言うべき。Noと言ってもなにか文句を言われることはないので、ダメなときはダメとはっきり言うこと。街なかを歩いていると「韓国人!」や「中国人!」など違った国籍を叫ばれることもあるが、それは日常茶飯事であるためできるだけ気にしないこと。バスはボタンを押さないと停車しない。バスを捕まえるときは、バスが近づいてきたと思ったら指を出さないと止まらない。運転は基本荒いので手すりか何かに捕まること。電車は基本たくさん来る。交通機関は時刻通りに来ないと思って良い。渡るときは安全を確認して信号を無視する。赤で車が通っていないのに待っている人はほぼ0。雨がふると停電がよく起こる。冷蔵庫が共用の場合、勝手に食べられることがある。ブラジル人は掃除が苦手な人が多い。そのためこれは文化の違いだと、妥協することが大事。荷物は肌見離さず持ち歩く。トイレットペーパーは流れないため、ゴミ箱に捨てること。サッカー関連の話をしていて、どこのチームが好き?と聞かれた時は本当にこだわりがない限り「よくわからない」と答えるか、「サンパウロFC」と答えると無難である。チームのサポーター同士は基本敵対しているため「コリンチャンス」や「パウメーラス」などと答えると、嫌がられることがしばしば。反対に相手の好きなチームを答えると一気に距離が縮まるため良いかもしれない。 【進路について】 (1) 留学終了後の進路 在外公館派遣員(ブラジルに限る)に申し込み、試験を受け、ブラジルの枠に受かることができればそのまま派遣員を行う。受からなければ日本で就職をする予定。最終目的はポルトガル語の通訳に関わる仕事に就くことだが、まずはその前にポルトガル語に関わる仕事、もしくはブラジル赴任がありえる会社に就職したいと考えている。 (2) 現地での就職活動や進学準備 就職説明会や、オンライン企業紹介などには参加していたが、時間帯や忙しさもありその他は何も行えなかった。その代わりに留学中は、ボランティア活動を行ったり、現地で人脈を広げたりした。駐在員の方にお話を聞いたり、質問をすることでほんのすこしだけでも準備はできたと思う。就活の95%は日本に帰ってから行う予定。 (3) その進路に対して留学経験をどう活かすか 私の将来の夢は、今回の留学経験が直結するものである。とくに留学で培ったポルトガル語の技能は私の進路に大いに役立つため、日本でも維持または成長させければならない。また留学中にはブラジル人の性格について知ることができ、色々な考え方に触れることができた。これは通訳の仕事ひとつひとつの正確さに大いに役立つと思う。 【今後留学を目指す学生へのアドバイス】 留学をすると決めただけで、今後の可能性が充分に広がったと思います。日本ではできなかったことを経験する大きなチャンスになるはずです。留学をするにあたり、私はまずお金を貯めるためにアルバイトをたくさんしました。留学先で自由に行動するためにはお金がかかります。できる範囲で、学業に支障がない範囲でバイト頑張ってください。また、どの国に行くにしても、その言語+英語を話す練習をできるだけしておいたほうが良いです。KUISにはSALCやMULCでネイティブの方とお話できる機会が充分にあるため、存分に利用しましょう。現地の方よりも私達のことを理解し、考えてくれるため、安心して練習することができます。 留学を迷っている方は、もし留学できるだけのお金がありそうで、健康上も問題ないのであれば絶対に留学するべきだと私は胸を張って言えます。留学は言語能力を成長させるだけでなく、自分自身を成長させてくれるものだと私は思っています。もしかしたら将来の夢が変わる、見つかるかもしれません。もし、留学生活で言語能力があまり成長できなかったとしても、海外で生活することは難しいことなので、確実に自分自身の何かは成長するはずです。ただその言語を学んでいるだけの人と、言語を学んだ上で留学している人では異なると思うので、チャンスが有るのであればぜひ留学してほしいです。特に、ブラジル留学に関しては「ブラジルは治安が悪いから…」など考え、諦める人もいると思います。実際に、留学に来ていた日本人の中では、過ごしてみるまでは本当に不安だったと言っている人もいましたが、「過ごして慣れてみたら意外と大丈夫だった。」と皆言っていました。サンパウロは治安が悪い方ですが、都会で観光地にも近く、日本食が手に入りやすいです。加えて、日本人駐在員さんが多いため、お話しして人脈を広げることも可能です。私はサンパウロ(大学)を非常におすすめします。もちろんサンパウロでなくとも他に協定校はあり、そこは比較的安全とされているので、ぜひブラジルに留学してみてください。勇気を出して留学してみれば、絶対にいい経験になるはずです。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
月次報告書12月分
経験し、考えること
 今月は最後の試験や課題、授業があった。また多くのボランティアも行ったため、慌ただしい1ヶ月となった。今月で留学11ヶ月目。締めくくりの月である。11年前、両親と一緒に住んだブラジル。今回は留学生として再度訪れ、子供の時と今では、ブラジルの見え方も自分に対するブラジル人の接し方も全く異なっていた。幼少期の記憶で、自分の中で勝手に作り上げられていたブラジルとのギャップに悩んだこともあった。考える事が増えた分、苦しむことももちろん多く、この留学生活を楽しかった‼とは言えない。しかしそれでも充実していたと胸を張って言える。留学生活の間、私が受けたい授業を受けるのは当たり前として、私はできるだけ色々な体験をできるようにと心がけてきた。そのおかげで沢山の人と出会い、色々な考えに触れ、且つ自分についても良い部分だけでなく悪い部分をよく知ることができた。特に「色々な考えに触れる」という部分は私が留学中に掲げていた目標のうちの1つで、それをできたことは自分の将来にとってすごく価値のあることだと思う。私にとって留学はあくまでも通過点、もしくは始まりに過ぎないので、日本に帰ってからより一層頑張ろうと思うし、頑張れると思う。 [気候]  12月になると気候は完全に夏になった。朝から夜にかけて基本的に長袖で生活できる。日中は湿気がないといえど日差しが強く、とても暑い。基本的には30℃を超える。日焼け止めを塗っていても日焼けをするくらい。12月からは午後に大雨(通り雨)が降る季節も始まる。かなりの大雨なので、傘は持ち歩くようにした方が良い。 [生活] ・サッカー観戦 なでしこジャパンVSブラジル代表  12月上旬には、女子サッカー日本対ブラジルの試合があった。隣の駅付近にあるスタジアムで行われたうえに、チケット代はたったのR$20!そのため行かない意外の選択肢はなかった。スタジアムについてみると、応援席には予想以上に日本人がたくさんいた。もちろん日本からはるばる来ている人もいるだろうが、親子連れが多く、ほとんどは駐在員の方々だと思われた。私は改めてサンパウロの日本人の多さを感じた。日本人たちとブラジルで、日本の応援をすることは自然と団結感が生まれ、シュートが決まったときに一緒に喜んだり、外れたときには惜しかったねと言ったりするのはなんだか不思議で楽しかった。ブラジル側の応援の声量はとても大きく、一方日本は少しおとなしめで、それもなんだか日本らしいなと思った。  試合の動きは激しかったが、見事日本が2対0で勝利した。試合が終わったあと、日本チームは各方面へお辞儀をしていた。ブラジル対アルゼンチンのサッカーの試合を観ていたため、てっきりブラジルサポーターからブーイングが飛ぶと思っていた。しかし全くその逆で、大きな歓声が湧いていた。もちろん本格的な試合ではないということも関係あると思うが、それでもやはりブラジルは親日国なのだと感じた。その後監督は私達のほうまで走ってきて、「ありがとうございました!」と伝えに来てくれた。その後もちろんまたブラジルサポーターの方にもしっかりとお辞儀をしていた。しっかりと「礼儀正しくお礼を伝える」という日本(だけではないが)の代表的な文化は素晴らしいなと思った。  ちなみに私はこの日、激暑だったにも関わらず日焼け止めを塗っていなかったため、日にあたった部分は真っ赤になり、後日真っ黒になった。そして人生で初めて皮が剥けた。やはりブラジルに注がれる日光を侮ってはいけないなと、それがその日一番の学びだった。 ・私が今月行った5つのボランティア ①留学生の会  12月にやっと、今まで準備していた留学生の会が行われた。これはブラジルに駐在員としている社会人のかたと、ブラジルの留学生が集まる会である。実際ブラジル留学を経験している社会人のかたもいて、就活や今後について、なにか質問したりすることをメインとしている。コロナ以降初めての開催で、既に10回開催されている。中には数年前に留学生の会に留学生として参加していた社会人の方もいた。 私と先輩2人は中心となって会の運営をしていて、ディスカッショングループを決めたり、どのように会を進めるかなど数カ月に渡って考えてきた。  当日社会人の方9人、留学生13人程が集まった。それぞれ大学も仕事先も異なる中で、様々なお話を聞くことができた。就職活動に遅れを取っている私達にとって、この機会はとてもありがたく、実際に同じ時期を過ごした先輩方からお話を聞けるのは貴重だった。  会は無事終了して、社会人の方と連絡先を交換できた方たちもおり、多少うまく行かない部分はあったが充実した1日になったと私は思う。以前も述べたが、サンパウロの良いところは、日本人駐在員の方がたくさんいて、そういった方と繋がりやすいことだと思う。日本ではこんなにたくさんの社会人の方と近い距離でお話できる機会はそんなにないと思う。そしてこのような会があることで、皆の就職活動のスピードに追いつけていないという不安を少しでも払拭できるのではと思う。 ②卓球バレー通訳  卓球バレーの通訳ボランティアも今月ついに本番だった。当初は11月上旬に日本から卓球バレー連盟会長が訪れる予定だったが、時期がずれ、12月になった。その影響で私は最終課題やテストの期間と被ってしまい、授業を受けていない先輩に任せることになり。結果的にはそこまでお手伝いすることができなかった。  基本的に行った内容は、会場までの付き添い、通訳(会話通訳や講演内容の通訳)である。私は授業との兼ね合いもあるため、授業が終わったあとに会場へ向かったり、講演が終わったあとに大学へと向かったりした。訪問したのは、知的障害を持った方たちの施設、視覚障害を持った方たちの施設、またスポーツ系の大学である。私はそのうちの1つで講演の通訳を経験させてもらえた。会長さんが障害者スポーツや卓球バレーについて日本語で説明していくのを、ポルトガル語で同時通訳するというものだった。私は厳しい状況になる、ということを予めわかってはいたが、結果的にそれ以上にダメダメな通訳となった。公演の途中、次第に日本語もポルトガル語も話せる卓球バレーのスタッフの方が私に先立って通訳をするようになり、私は結局、私よりもポルトガル語を話せる先輩と途中で交代することになった。講演の同時通訳は私にとって初めてでとても緊張した。しかしそれが理由にならないほど、ひどく、自分のポルトガル語能力のなさに絶望した。かつ今まで先輩と同じ約1年間ほどブラジルで過ごしてきたにも関わらず、私の能力は先輩よりも遥かに下だ。と比較してしまい、とても落ち込んでしまった。私はポルトガル語関係の仕事に就きたいと考えていたため、本当に大丈夫なのか、本当に成長できるのか、と深く深く考えこみ、一時期は本当に夢を諦めてしまおうかと思った。両親に相談し、「人はそうやって成長していくんだよ」と私が知っていたようでしっかりと分かっていなかったことを言われ、「だめだったけど、失敗したのが今で良かった」とそう思うことができた。  卓球バレーの普及活動最終日、講演で失敗してしまった私は申し訳のない気持ちで会場へと向かったが、会長さんは「大丈夫だよ、経験だよ」と私に言ってくださった。  卓球バレーを体験している障害を持っている方たちや持っていない方たちすべての方が、負けても勝っても笑顔で楽しそうにプレーをしていた。障害の有無に関わらず皆平等にプレーできるスポーツは本当に素晴らしいなと、そう感じた。そして実際にそういったスポーツの普及活動に関わらせてもらえたことをとても嬉しく思う。今回のボランティアのために、本当だったら訪れることのなかっただろう障害者施設に訪れたり、様々な人と関わることができ、私の名前を呼んでもらえ、本当に貴重な機会になったと思う。そして何より、わざわざ私達にこの仕事を任せていただけたこと、ここで失敗をさせてもらえたことに感謝したい。 ③岩手県人会おもちつきのお手伝い  岩手県人会の方には、7月の日本祭りでもボランティアとしてお世話になっていた。岩手県人会では毎年12月にお餅つきを行い、大量のお餅を販売用に作る。餅米を炊き、杵でつき、丸めて梱包するという作業を全部手作業で行なっていた。私はお餅に触れられるだけでも幸せだったが、作業時間は思ったよりも長く、朝の9時から夜の9時まで行われていた。私は用事があったため夕方で抜けさせてもらったが、それまでの間永遠にお餅を丸めていた。その間は日系人の方とお話をしたりしていた。県人会の方達は、日本人の方もいるが、ほとんどが日系人の方のよう。30人ほどの人たちがお手伝いに訪れていて、県人会はすごいなと思った。お餅をいただくことができなかったが、購入することができた。やはりつきたてのお餅はとても美味しく、やっぱりお餅はいいなと、日本でまた食べたいなと思った。 ④栗農家さんのお手伝い  Atibaiaの栗農家さんのお手伝いはこれで3回目となる。お手伝いの前に、最後だからとPedra Grandeに連れて行ってもらった。おっきな岩で作られた景色のいい観光名所なので、本当だと車で上まで登ることができる。が、天候などで随時道の形状が変わってしまうようで、今回は土でタイヤがうまく回らず途中から徒歩で頂上まで登った。坂はとてもきつかったが、頂上に着くと、Atibaia一帯の景気が見渡せてとても綺麗で爽やかだった。頂上では農家さんが作ってくれたおにぎりを食べ、リラックスした時間を過ごした。 その時間とは裏腹に、その後は次の日に行われる、駐在員の方向けの栗拾い体験会の準備を慌ただしく行った。大量のお肉を切ったり、お食事を食べてもらう場所の大掃除をしたりした。その日の夜はすき焼きをご馳走していただけて、幸せな気分だった。  体験会当日、約11組の駐在員の方ご家族が訪れた。なかには以前運動会でご一緒させていただいたご家族もおり、偶然の再会をした。体験会ではまず初めに朝ごはんの栗ご飯を提供し、その後栗拾い、野菜の収穫、お昼ご飯の焼肉、デザート、焼き栗の試食を行った。とても忙しい1日でほとんど動きっぱなしだった。日本で行っていたバイトのようなことを行なった。ブラジルで薄切りの和牛を食べれるのは本当に貴重で、栗拾いもでき、かつここの栗はブラジルのものとは異なり艶があるため、参加している親御さんやお子さんはすごく嬉しそうだった。私栗拾いの際、サポートとして一緒についていった。サポートをしながらも初めて栗拾いをすることもでき、栗愛好家の私にとって幸せな時間だった。  皆さんを見送った後、大量のお皿洗や片づけをし、サンパウロへと戻った。おそらく最後のお手伝いだが、とても良い経験だったと思う。 ⑤スポーツ合宿スタッフ  2泊3日の泊まり込みで、日本人の小学生のお子さん向けのスポーツ合宿のお手伝いをした。10月の報告書で述べた通り、この合宿を行なっているのは日本人元プロサッカー選手の方である。普段はブラジルとメキシコで、日本人駐在員のお子さんを対象にスポーツアカデミーを行なっている。合宿はSKA Brasilというサッカーチームの本拠地で行われた。このクラブチームには中学生の頃にブラジルに渡ってきた最年少日本人男性が4年間所属している。  今回私が行う内容は、まず第一に小学生への指示、コーチのサポート、コーチよりも近い距離でいることのできるお姉さんになること、そして90分の陸上指導である。ボランティアは、保護者の方に挨拶をし、ミニバスに小学生を乗せるところから始まった。小学生は本当に元気で、バスの中でもたくさん騒いでいた。1時間ほどで現地に到着し、それからスポーツの授業が始まった。鬼ごっこをしたり、サッカーをしたりと、暑いのにも関わらずたくさん運動していた。お昼ご飯は選手と同じ食堂で食べた。低学年だとまだ身長が高くないため、おかずを取るのをサポートしたりしていた。その後また屋外でスポーツをした後、おやつタイムがあり、そしてまたスポーツをした。夕食も同じ食堂で食べ、その後は就寝まで自由時間となった。その間、私たちは小学生たちが頼んできたことに答えたり、皆の分の水筒を洗ったりと色々な作業をした。夜中には各部屋の見回りをしたりなど、修学旅行の引率の先生の気分だった。  2日目の活動開始時間は6:30で、小学生とはいえさすが合宿という感じだった。もちろん私は早めに起きて、小学生を起こしに行ったりしなければならなかった。朝の散歩を終え、朝食をとり、その後大体は同じような活動を行った。2日目には私の陸上の授業もあった。私は大人数、しかも小さい子供に何かを教えるのは初めてで、数週間前からとても緊張していた。そして、全てが全て走ることに興味がある子ではないため、やはり教えるのはとても難しかった。教えた内容としては、スタートダッシュの仕方や基本動作、走り方などである。もちろん真剣に練習しようとする子はいたが、やはり小学生なのですぐに飽きてしまう子もいた。また小学生にわかるように説明するのも本当に難しいなと感じた時間だった。陸上を教えている父やコーチをとても尊敬する。その後はプールに一緒に入ったり、工作のお手伝いをしたりした。握力がまだなく、ハサミでダンボールを切れない子もいて、可愛いなと思った。夜には私も一緒にレクリエーションを行ったりした。  日光に当たりながら、小学生に注意を向けながらの慣れない活動で、私は2日目でもうすでに体力に余裕がなくなっていた。しかしながら小学生は2日目でもまだ元気で、本当に回復が早く、歳をとるとはこういうことなのかと深く感じた。  3日目もほとんど同じようなことを行なったが、合宿の最後には、初めに書いた日本人若手選手のサッカーの試合で小学生たちがエスコートキッズをし、観戦するためにスタジアムに行くことになっていた。そのため時間はあまりなく、慌ただしい1日になった。小学生を急かさなければならない状況で、ごめんねと思いながらもなんとか時間に間に合わせた。  試合会場では、小学生に注意を向けながらも、試合観戦をすることができた。日本人選手は、サッカーのことに詳しくない私でもわかるほどパスやドリブルが上手で格好良かった。彼はポルトガル語の発音も上手で、流暢に話せる。中学生の頃からブラジルに来て、周りに日本人がいない中1人で頑張っていると考えると本当にすごいなと思った。合宿中にたくさんお話しできる機会があり、周りに同年代の友達がいないため寂しく、私たちに会えて嬉しいと話していた。試合は大きく得点差をつけSKAが勝利した。  試合が終わった後、小学生たちをバスに乗せ、ご飯を配ったりし、サンパウロへと帰った。帰りのバスも小学生はとても元気で、へとへとになった私とは正反対だった。これが若さというものなのかと。そして無事到着し、親御さんの元へと帰った。  この2泊3日の合宿サポートは、今までのボランティアの中で一番というほど色々考え、動き、疲れた。陸上を教えたり、小学生を導いたりなどたくさんの初めての体験をさせてもらえてすごく良かったと思う。  コーチは好きなことを仕事にした方ではあるが、それでももちろん大変そうだった。親御さんのクレーム対策で色々なことを考え事前対策したり、子供達に対してどうすべきなのか、怒るべきところは怒る、甘くするところは甘くするという判断を適切に行っていた。これも慣れといえばそうだが、できない人はやはりできないので、そういった姿を見て私は勉強になる部分があった。子供達の中には日本人学校に通っている子もいて、私がブラジルにいた時(12年前)と同じ境遇の子達をサポート、指導するという不思議な体験をできたボランティアだった。 ・お見送り、お別れ  私より早く帰る留学生友達のお見送りがあった。また1年留学組の1人も日本に帰国し、日本で会えるとはいえ悩みを共有し一緒に過ごしてきた人をお見送りするのはやはり寂しかった。  また空港に到着した日から今までお世話になっていたiFriendsの友達とも最後の食事をした。彼は私に「成長したね」と言ってくれ、とても嬉しかった。 ・美術館、博物館など ①アフロブラジル博物館  イビラプエラ公園にはアフロブラジル博物館がある。これはブラジルのアフリカ系移民に関する展示が行われている場所で、持ち込まれた文化や黒人奴隷についてなどを知る、見ることができる。水曜日は無料で入ることができ、現地の学生証があれば7.5レアル(約220円)で入ることができるのでおすすめ。 ②MASP(サンパウロ美術館)  MASPはブラジルで初めての近代的な美術館。パウリスタ通りの真ん中にある。様々な国の作品が集まる。 火曜日は無料で入ることができ、その他の曜日は学生は半額の30レアルで入ることができる。とはいえ少々お高めなので無料の日に入ることをお勧めする。私が行った時は冷房がとてもきいていてむしろ寒すぎるくらいだった。もしかしたら長袖を持って行った方が落ち着いて見れるかもしれない。 ③日本移民資料館  リベルダージには日本移民資料館がある。この資料館には名前の通りブラジルに渡ってきた日本移民についての展示がたくさんある。昔ブラジルに渡ってきた日本人の名前を検索できる機械もある。展示には日本語と英語、ポルトガル語の説明が書いてあるため、留学序盤でも十分に楽しむことができると思う。水曜日は無料で、その他の曜日は学生は8レアル(約240円)で入ることができる。 ・クリスマス  クリスマスは、日本人のように恋人と過ごすのではなく、ブラジル人は家族と過ごすのが一般的。そのため多くの人が地元に帰っていて、私のブラジル人の友達たちも地元へ帰ってしまっていた。私が住んでいる住居もほとんどブラジル人がおらず、スカスカだった。クリスマスイブとクリスマスは日本人留学生と過ごすことになった。イブは友人と自炊料理を持ち寄り屋上でゆっくりご飯を食べた。25日になると同時に、あちこちで花火が上がっているのが見え、屋上で食べてよかったなと思った。  クリスマスは、友人のお家で食べ物を持ち寄り、みんなで集まる予定だったが、スーパーなどほとんどのお店はどこに行っても閉まっており、空いているのは薬局だけだった。唯一開いていたピザ屋さんのピザをRappiで頼み、みんなで食べた。クリスマスソングを流し、色々な話をしながらビリヤードをしたりした。ブラジル人と一緒に過ごすことはできなかったが、楽しい2日間だった。  クリスマスや年末の時期は、バスと地下鉄料金が無料になる。そのためホームレスの人たちもその期間の間に移動したりするのかなと考えた。またクリスマスは囚人が解放されるため治安にも注意である。 11月からクリスマスムードに入るが、それと同時にバスもイルミネーションでクリスマス仕様にデコレーションされる。また運転手さんがサンタ帽をかぶっているバスもあるそう。地下鉄の音楽もクリスマスで、なんだか愉快な気分になる。 ・年越し  年越しはリオで過ごした。年末もまた、ブラジル人はクリスマスからずっと実家にいる人が多いようで、友人もその1人のため、またまた日本人と過ごした。年末は高速バスの料金も高くなり、ホテルも高くなる。8人ほどで泊まったため少しだけ安くはなったが、少人数で泊まると少し大変かもしれない。  私の念願のコパカバーナビーチでの年越しで、とても嬉しかった。コパカバーナでの年越しはスリや強盗などが多く危ないと聞いていたため、大人数とはいえ荷物は服の下に隠すなど対策し、かつ本当に荷物は最小限にして盗まれても大丈夫なものだけを持って行った(スマホ以外)。一応ステージは22時から始まるようで、向かった時にはすでに多くの人が集まっていた。人混みを例えるなら、休日の原宿通りである。皆幸運の象徴である(ラッキーアイテム)の白い服を着ていた。道端にはちょっとした屋台もあり、軽食や飲み物を買うことができる。基本的に音楽に合わせて皆踊っているのだが、ファンキ(ブラジルの若者に人気な音楽の種類)が流れた時は本当に踊りが激しくなるので、体が持っていかれないように注意した方が良い。  スマホはできる限り出さない方が良いが、撮影したい時は周りを囲んでもらったり見張ってもらって撮ると対策にはなる。とはいえ、万が一のことを考えてスマホで写真を撮るのは最低限に控えた方が良い。実際、目の前で強盗の現場を目撃し、逃げている人にぶつかられた。もちろん私は気をつけていたのでただぶつかられただけだが、コパカバーナで年越しを過ごしたい人はブラジルでの普段の生活の10倍は気をつけた方が良い。ちなみに、その犯人は奇跡的に警察に取り押さえられ、叩かれており、その姿を見たブラジル人たちは警察を称えていた。  カウントダウンが始まると、みんなも声を上げだす。年越しと同時に、一面の花火がたくさん上がる。Feliz ano novo!と叫び、抱き合う人もいる。花火は本当に綺麗だった。正直日本には敵わないだろうと思っていたが、もしかしたら迫力では日本を超えてしまうかもしれない。それくらい圧倒された。綺麗な花火に見惚れ、見ている間に留学生活のことを思い出し、少し泣きそうになってしまったりもした。見た景色は一生忘れないと思う。ブラジルでは新年とともに、願い事をしながら波を7回飛び越えると願い事が叶うという言い伝えがあ。そのため波を飛び越えている人がいっぱいいた。もちろん私たちも真似して飛び越えた。ちなみに私は願い事をするのを忘れてしまった、残念。。花火の写真も無事撮れ、その後は何も被害を負わずに一旦無事ホテルに帰ることができた。  初日の出を見るために4:30ごろにまたホテルを出発した。夜に見た景色とはまた異なった景色が広がっていて、ブラジル人もまだたくさんいた。新年を迎えたままビーチにそのままいたようである。初日の出は残念ながら少し雲に隠れていたが、それでも綺麗な砂浜で見る初日の出は素晴らしかった。  初日の出を見た後はまたホテルに帰り、夕方までみんなで寝た。そのままゆっくりして夜ご飯を食べ、その日はそのままホテルで過ごした。最終日もまたコパカバーナの海へ行った。天気も良かったため、海に入った。気温も暑かったため、水温もちょうど良く、ブラジルで海に入るのは初めてだったため幸せな時間だった。  その後は軍隊の博物館へ行った。その日はちょうど無料で入ることができた。中には昔使われていた軍人用の部屋や兵器などが置いてあった。屋上は展望台のようなものになっていて、コパカバーナの海全体を見渡すことができた。  博物館の後は、サンバのバーに行った、そこにはサンバのエスコーラの服やネームなど、サンバに関するものがたくさん置かれていた。演奏を聞きながらバスの時間までの間、ゆっくり過ごした。  これが留学中最後のリオになる。リオの治安は少しサンパウロより悪く感じるが、サンパウロに比べ観光地がいっぱいあり、とても楽しいため、留学中一度は行ってみてほしい。 [住居]  今月でアパートのシェア生活は終了した。いざ終わって、完全に1人の部屋になると少し寂しく感じるが、色々な問題はなくなるので少し楽かもしれない。部屋の人は出かけていたのでメッセージでお別れをすると、感謝と応援のメッセージを送ってくれた。  ブラジル出発までの残りの期間は、日本人がたくさん住む、Paraísoという地域に住む。エアコンがある住居で、最安のところをAirbnbで探した結果この住居になった。パウリスタ通りにも徒歩で行くこともでき、USPには遠くなるが交通の便もいいため好立地。そして全く気にしていなかったが、たまたま12年前に住んでいたマンションの隣で、よく行っていたスーパーも近くだった。私の原点に戻った生活になる。やはり人間は原点に戻るのだと思った。 [授業]  12月は最終レポート、テストの時期である。中旬には私の授業が終了していたが、ある一部の授業はストライキの影響で1月まで授業終了が延期されることになった。 ・日本文化  日本文化の最終テストはグループで行えるものだった。他のテストもあり余裕がなかったので前期とは異なり個人ではなくグループでテストを行った。  日本文化の授業は唯一2学期通して受講した。私は正直歴史を学ぶのが苦手であるが、講師の先生が好きだったというのと、授業内容を知っていることでポルトガル語を勉強しやすくなるという理由で受講した。また日本語を学んでいるブラジル人学生と知り合うきっかけともなったため、受講して良かったと思う。 ・言語心理学  ペアで5日間のうちに設問(記述問題)に答えて提出するという内容だったが、私は深くは授業内容を理解できておらず、点数が心配な上に相手に迷惑をかけると思い、先生に3人でできないかお願いした。しかし先生はそれを許してはくれず、2人で行うように私に言った。それでは私と組んでくれる人が見つからないため3人にしてほしい。と諦めずに先生に言うと、今度は先生が私と組んでくれる生徒を探し、その人と2人でテストを行うように言った。私は状況はこれ以上変わらないと思い、組んでくれる相手に状況を伝え、ごめんねと言い、今まで通りテスト勉強を続けていた。するとどうやらペアがいない生徒がいたようで、最終的に3人で試験を行えるようになった。もちろん私は勉強を続けていたが、結局のところ3人で試験問題を解き始めたのは締切前日で、とてもバタバタしていた。どうやら他2人の会話は噛み合っていないようで、なかなか進まず、結局時間が十分になくなってしまい、試験問題の半分くらいは私が用意した解答を使用することになった。試験問題自体は私にとって少し難しいくらいだったため、言語がわかる2人にとっては私よりも簡単に感じるはずなのだが私が作った回答を提出することになり、嬉しくもあり不安でもあった。  この授業は私がとりたかった科目ではあるが、内容は「子供の言語学習」に焦点を当てたもので、私の希望とは少しだけ違かった。しかしながらこの学問は言語学の1つであり、かつ知らないことを沢山知れて留学中に履修した授業の中で1番面白かったと思う。 ・スポーツジャーナリズム  12月の授業では、スポーツ施設の訪問をすることができた。その施設には、サッカー、バスケ、テニス、器械体操、水泳、ハンドボールなどなどその他たくさんのスポーツができる場所があった。それぞれのクラブチームに入っている人たちだけが利用できる施設なため、一般の人たちは利用できないが、施設がとても充実していた。この授業は座学だけではなく他の実践的な体験や訪問もできるため、面白い。  この授業の最終課題は、スポーツに通じる身近の人にインタビューしてレポートを書くと言うもので、私はちょうどボランティアをしていたということもあり、卓球バレーの会長さんにインタビューすることができた。課題自体はそう難しくはなく、留学生でも他のブラジル人たちと同じようにできる最終課題だったと思う。 ・外国人のためのポルトガル語C1  この授業の最終課題は、自分の学術分野(出身国とブラジルを関係させる)の発表だった。私はブラジルの日本移民についてと日本にいるブラジル人についての話をした。なるべく原稿を見ないようにとの指示だったが、練習のおかげか当日はほとんど見ないで話すことができた。また先生には、「文法や単語の間違いはほぼなく、発音は完璧だ」と褒められ、少しだけ成長が感じられとても嬉しかった。最後に、成績には入らないが、次の学期同じ授業を受ける留学生に向けて留学生活についての手紙を書いた。  この授業は前期後期両方開催されている。ABCの中で、C1は最もレベルの高い授業だったが、なんとかついていくことができた。文法に関する授業だが、ブラジルの歴史や文化などを交えながら勉強するため、文法だけでなくブラジルについても知ることができる。私にとってとても有意義で楽しい授業だった。 ・ポルトガル語形態学  この授業の最終課題はなく、毎週のレポートによって成績が出る。  ポルトガル語の仕組みについてより知ることができるため、面白かった。そして何より、先生は留学生向けの授業も経験済みなため、留学生や外国人に対しての理解がある。また話している内容も面白いため、授業が楽しかった。 ・スポーツ系の授業  サッカー、カポエイラ、空手のスポーツの授業は、肉離れをして以来行くのをやめてしまったが、特に団体競技だと座学の授業よりも新しい友達を作りやすく、さらに気分転換にもなったため受講して良かったなと思う。サッカーやカポエイラはブラジルの文化の1つであり、ブラジルでできたことは良かったと思う。また空手は日本の文化に興味のある人たちが多かった。 ※以下はサンパウロへの留学を考えている方へ。参考までに知っておいた方が良い情報を掻い摘んで書いています。(上記と重複有り) あくまでも私の知見です。 ——————————————————————————————————————————————— ・ブラジルから日本への荷物の送り方  意外と簡単です。Correiosのサイトから、ダンボールの大きさを入力しプランを選択すると大体の金額が出てきます。私はお土産を沢山持って帰るために、先に重い本を送ろうと考えており、重さを計ってみると11キロもありました。11キロで大体R$853(日本円で約25000円程度)でした。預け荷物の重量超過分を支払うよりも安く送ることができるのでなくなったとしても諦めのつく、もしくは荷物が戻ってきた場合を考えはやめに荷物を送るのであれば郵便で送っても良いと思います。  具体的な送り方を説明すると、まずその荷物が入るだけのダンボールを用意するもしくは買います。ダンボールの裏面には送り主(remetente)の住所と名前、cpfをポルトガル語で書きます。表面には宛先(destinatário)を日本語とポルトガル語で書きます。中に荷物を詰め、封をして郵便局に持っていきます。その際、中に入っているものの名前と値段を書いたメモを持っていくと受付がスムーズに行きます。郵便局で手続きをしたあと、6枚ほどの書類に署名をし、代金を支払ったら終了です。支払い方法は基本的にはデビットもしくは現金のようですが、私の住居の近くのcorreiosはクレジットカードも受け付けてくれました。郵便局の方からもらえる受領証には追跡番号がついているので、correiosのHPから荷物の追跡をすることができます。 ・Bilhete Únicoの期限  学生料金でメトロやバスに乗れるのは12月が最後のようです。1月になると更新手続きを行わなければならず、更新するには授業の履修登録証明書などが必要になってくるため、更新することはできません。年末に近づくと、お金をチャージできる金額に制限がかかり始めるため、もし1月以降も使いたいのであれば制限がかかり始める前にお金をチャージしておく必要があります。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
2023-11
 今月で留学10ヶ月目。今月はボランティア活動や久々の授業たちがある中でも、初めてのサッカー観戦をしたり、バーに行ったりとたくさん楽しめたと思う。もうすぐ真夏で気温も暑くなってきた。気温とは裏腹にヒヤヒヤする場面もあったため、留学が終わるまで何もないように、もう一度気を引き締めたい。 [気候]  11月に入ると、30℃をこえるときがあるくらい、すでに焼けるような暑さになっていた。基本的に半袖で過ごすことが多い。雨が降ったりすると長袖が必要な時もあるが、以前ほど寒くはない。サンパウロは、日本のように湿気はなく、カラッとした日差しの強い暑さなため、気温は高く暑いことに変わりはないが、少しはマシだと感じる。 [生活] ・USP内のブックフェア  USPの中で、年に1度ブックフェアが行われる。50以上の出版社が集まり、50%以上安く多種多様な本を販売する。そのためこの日のためにお金を貯めている人や、USP外からも人がたくさん集まっていた。トンネル状のテントに、50社以上の出版社とたくさんの人が集まっていたため、とても混んでいて暑かった。 私はこのブックフェアに2回行った。というのも、数時間だけではみ終わらないほどの本の量であり、且つどれも面白そうな本ばかりなのでみているだけで自然と、時間が過ぎていってしまうためである。教育書やUSP以外の大学の教科書、アート系の本や楽譜、小説、子供向けの本、そして漫画などが置いてあった。もちろん日本の漫画(ポルトガル語ver)もずらっと置いてあり、少し人だかりもできていた。  私は1日目、2冊の本を買い、2日目には3冊の本を買った。合計5冊を3000円くらいで買うことができた。普段本屋さんでみていて買いたいけど値段で買うか迷っていた本など、本当に安くなっているのでUSPに留学する人はぜひ覗いてみてほしい。  ちなみに本当に人が多いため、スリと落とし物に気をつけるべきです、、。私は2日目、ちょっとの気の緩みで、Bilhete ÚnicoやBUSP、部屋のカードキーをなくしてしまった。センターポーチに入れており、私はいつもそれを抱えているのでスリではないのだが、落とし物でも、人が多く敷地も広いため見つけることができなかった。幸いどれも再発行できたから良かったが、もう一度忘れ物にも気をつけて過ごすようにしたい。 ・合計3枚になったUSP学生証  カード類を無くした後、CCINTにはBUSPを失くしてしまったと伝えたのだが、学生証も新しく発行してくれていた。私はブラジルに来た頃、学生証を他の方の写真に取り違えられており、その後私の写真のものが新たに到着した。そしてまた学生証が届くため、合計3つになるのである。 留学10ヶ月にしてやっと1枚目の取り違えられた写真の方を見つけ出すことができた。その方は私と同じ名前の方で、コロナウイルスが流行る前にUSPへ留学に来ていた方だった。顔は全く違うのに、どうやって間違えたのだろうと思っていたが、日本人であり同じ名前となるとややこしくなってしまうのかもしれないと納得した。笑 ・Havaianas  ブラジルではHavaianas という、ビーチサンダルの会社があり、有名でよくお土産に購入されている。中には、サンダルの紐の部分にピンをつけたりしてアレンジできるお店もある。私も11年前にアレンジし、購入したのを覚えていて、そのお店がどこにあるのか探したところOscarFreireという高級街にあった。そこのお店は店舗が大きく、サンダルやピンの種類も豊富なため、ぜひいってみて欲しい。 ・ショーロ(楽器)のショー  ブラジルでは、バーなどで、ブラジルの楽器を用いて演奏されている。私はショーロを習っている留学生の友達の紹介でショーロのショーに行った。普通の音楽が流れているバーでももちろん良いのだが、ショーロなどの楽器を用いた演奏があると、とても落ち着くため好きである。友人のおかげでこういったイベントに行くことができて、感謝感謝である。 ・男子サッカー観戦(ブラジル対アルゼンチン)  21日に、ブラジル対アルゼンチンのワールドカップ練習試合がリオのMaracanãスタジアムであった。Maracanãスタジアムは、オリンピックの開会式で使われた場所でもある。試合のチケットを取るのはとても大変で、かなりの人がこの試合のチケットを欲しかったのか、まるでライブのチケットを取るかのように永遠にクリックしていたらようやくチケットを取ることができた。そしてまた大変だったのが、チケットを正式なものに交換することである。スタジアムではなく周辺の交換所で交換しなければならず、時間予約もないため、とても暑い中日向で2時間くらい待ち、ようやく交換できた。  私はこの試合のために事前にオフィシャルユニフォームを買って、試合に臨んだ。スタジアム周辺には偽物のユニフォームを売っている人がたくさんいたり(これはブラジルでは普通で、売っている人も買ってきている人も日常的にいる)、飲み物を売っている人たちがいた。ホーム試合のため、当たり前ながらブラジルサポーターばかりなのだが、たくさんの人がいた。実際スタジアムに入ると、米粒のような量の人が入っていた。アルゼンチンのサポーターは、私の席とは対角線状に固まっていた。  ブラジルの選手が入場し、選手紹介が始まると、ブラジルのサポーターたちは大きな歓声をあげていた。その間、どうやら私の対角線状、アルゼンチンのサポーターとブラジルのサポーター同士で乱闘があったようで、そこにリオの警察が警棒を持って介入し、警棒を振り翳してボコボコに殴るというある意味事件が発生して、試合開始が30分遅れた。警棒で殴られたことによってたくさんの血を流している人もおり、アルゼンチンの選手たちは心配して駆け寄ったりしていた。これらの全体の詳しい流れは、後でTwitter(x)で知ったのだが、実際その時はその場所がモゴモゴしているということしかわからなかった。全く別で試合を観に来ていた友人はその近くにいたようだが、特に何も被害はなかったようで、念の為巻き込まれずに逃げれるよう上の方の席をとっていた私も後で思えば危なかったなあと少しヒヤヒヤした。やはり、サッカー大国のアルゼンチンとブラジルの戦いは、明らかに行き先が良くないのはわかる。また、クラブチームの試合も同様に乱闘があるようで、有名なチームのサッカーの試合を観に行くのが一番危険な行為なんじゃないかとすら感じた。とはいえ、試合はとても面白く、ブラジルもアルゼンチンに対してかなり攻めていたが、後半にスカッと1点決められてしまった。ブラジルのサポーターはアルゼンチン側がしたファールやシュートに悉くブーイングしており、きいていて面白かった。  結局そのまま試合は終了し、0対1でブラジルは負けてしまった。試合が終わるとブラジルのサポーターはそれぞれたくさんの文句を言いながら早速帰っていて、それもなんだか正直で面白かった。 初めての試合観戦で、強い国同士の代表戦を見ることができ、チケット取りの大変さがどうでも良くなった程楽しい時間だった。 ・泊まらずのリオ(3回目)  私と日本人、イギリス人留学生で、ブラジル対アルゼンチンの試合観戦をするためだけにリオに行き、試合開始までの間、数カ所観光した。 まず初めにセラロン階段(2回目)を訪れた。前回とは異なり昼間だったため綺麗に階段が見えて良かった。傍には、いろいろなものが描かれたたくさんのタイルがあり、その中に阪神タイガースのタイルがありとても驚いた。  次はリオデジャネイロ大聖堂を訪れた。中に入るのは初めてで、ステンドガラスがとても綺麗だった。カトリックの大聖堂だということはわかるのだが、それ以上は何もわからず、ただただ綺麗だと思った。 最後にMuseu do amanhãを訪れた。ここもリオで有名で、地球の問題に焦点を当てた博物館である。その日は運良く入場無料の日だった。ブラジルではそれぞれの美術館や博物館で無料の日が設けられていたりする。 博物館の中には、プラネタリウムのような空間で映像を見れるようなところもあり、地球問題について考えさせられたりと、楽しくも充実した時間になった。  試合を観た後、本当はすぐに帰りたかったのだが、バスのチケット取り合戦に負けてしまったため、朝5時までの約5時間、バスターミナルで待たなければならず、私もイギリス人の友達もとても疲れていた。5時間の間特にすることもなく、眠りたいが安心しては眠れない状況でぼーっと5時間過ごし、サンパウロの自宅へと帰った。 リオは3回目だったが、今回でやっと有名どころを全て回れたのでとても良かった。回数を重ねると、リオはサンパウロ近所のように感じるようになる。それだけリオに行けているのは嬉しい。 ・朝食bandejão&初めてのFísica  11月になり、ようやく初めて朝食のbandejãoに行った。朝は50centavos(15円)で食べることができる。出されるのは、パンと飲み物(牛乳、チョコミルク、コーヒーのどれか)、そして果物である。私は朝食たくさん食べる人なので少し物足りなく感じたが、にしても15円で食べれるのは本当にすごいところだと思う。 USPには約5つの学食があり、QuímicaとCentralは行ったことがあったがそのほかはない。今回初めてFísicaの学食に行くことができた。ここはそこまでQuimicaとかわらなかったが、メニューが少しだけ違うよう。私はいつも行っているCentralの次にこの学食が好きだった。 ・クリスマス  ハロウィンが終わり、11月に入ると、もうすでに街はクリスマスの飾り付けがされていた。クリスマスツリーが飾られていたり、オーナメントが売られていたり。中には打楽器のオーナメントが売っていたりしてとても可愛かった。  ブラジルのショッピングセンターには、サンタさんが出没するようで、私は少なくとも3つのショッピングセンターで3体のサンタさんを見つけた。一つのショッピングセンターでは少し隠れたところにサンタさんがいた。無料で写真を撮ることができ、私は別々の機会に2回写真を撮ってもらった。サンタさんは本物みたいで、お髭も白かった。  ブラジルのクリスマスで有名なのがpanetoneというお菓子(ケーキ?)である。クリスマス時期になるとたくさんのパネトーネが並ぶ。近くのスーパーでは、私の大好きなdoce de leiteというお菓子の場所がパネトーネに占領され、ついには無くなってしまった。それくらいpanetoneはクリスマスの重要なものである。 ・留学生の会  12月に控えた、ブラジル留学生の会(学生と駐在員の方のお話会)の幹部としての準備も忙しくなってきた。直前で都合のつかなくなった方もおり、そういった面での調整などで慌しかった。就職活動がまともにできない留学生活の中で、実際にブラジルに来てお仕事をされている社会人の方々とのお話は非常に価値のあるものだと思うため、より充実した会になるようにと私と先輩2人は空いている時間を準備に費やした。 [授業]  日本文化の授業では、第1回目のテストがあった。私は元々歴史が大の苦手ではあるが、日本人であるため、ブラジル人よりも点数がもらえるように勉強した。が、結果は悲惨だった。苦手なものは苦手なんだと、そう思ったが、やっぱりブラジル人からしたら「日本人は日本のことを知っていて当たり前」であるため、少し悔しかった。 *写真左:サッカー観戦とリオ 写真右:ブックフェア、クリスマスとショーロのショー ※以下はサンパウロへの留学を考えている方へ。参考までに知っておいた方が良い情報を掻い摘んで書いています。(上記と重複有り) あくまでも私の知見です。 —————————————————————————————————————————————————ーーー ・クレジットカードの郵送  私は追加でクレジットカードをもらうために、日本から輸送してもらいました。もちろん犯罪に遭うという怖さはあったが、必要だったため仕方なく郵送してもらいました。 セキュリティ対策としては、あらかじめ海外からの使用をブロックしてから郵送すること、また関税で中身をわざわざ確認されないために、お菓子など余計なものは入れず、封筒便(もちろん追跡あり)でスキミング防止をした上で頑丈なダンボールに包み送ってもらいました。封筒だと2週間以内には到着しました。また無事不正利用もなく、関税もかかりませんでした。  送らないに越したことはないですが、クレジットカードがブラジルで盗まれてしまったり、止まってしまったりし、本当に必要な場合は、この送り方を参考にしてみてください。 ・カード類の再発行  上記で述べたとおり、私はBilhete ÚnicoやBUSPなどのカードたちを失くしてしまいました。もし失くしてしまった場合、どちらも再発行はできるようです。  Bilhete Únicoは、ネットで2a via(2枚目のカード)を申請します。そして自宅郵送ではなく直接受け取りを選択した場合、USPの近くではPinheirosで受け取ることができます。値段は1回目に作った時と同じで、30レアルほどかかります。受け取りは3日でできました。  BUSPについては、CCINT(留学生課)の方に「カードを無くしました」と連絡してください。そうすると新たなカード申請を行なってくれます。値段は1回目のように無料ではなく、19レアルほどかかりますが、毎回お金を支払うよりは十分マシです。受け取りは約1週間ほどでできました。  また、もし残りの留学期間が少なく、元を取れそうにない場合、TOPというアプリを使うとSuica代わりに使用できて便利です。TOPはカードもありますがアプリの方が簡単で荷物も増えなくて済むので便利です。毎回現金を支払ったりするのはとても面倒なのでおすすめです。 ・返信が来ない時、間違いがあるとき  学生証のことがあったように、ブラジルではよくこういったミスがある。特に、よくお世話になる留学生課の方は、忙しいのかミスも意外と多いため、少し返信が遅い時や、何か間違っている時は追ってメールを送ったり、しっかりと伝えることが大事である。少ししつこいかも、と思ってしまうかもしれないが、単に忘れられている可能性もあるため、積極的で大丈夫です。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
2023-10
月次報告書10月分
不完全燃焼の10月
 留学から8か月が経った。10月はタイトルの通り、すっきりしない1か月だった。学生ストライキは、終結ではなく中断し、留学中初めて病院に行くことになった。とはいえ、今月も陸上の大会に参加したり、ボランティア活動をしたり、なんだかんだで色々なことをできたと思う。 [気候]  日中の気温が上がり、20後半の時が多かった。基本的に半袖で過ごせる。しかし朝晩はまだ肌寒い時が多く、雨が降ると日中でも寒い時がある。 [生活] ・今月末まで続いたストライキ  先月の9月18日から始まった学生ストライキは、10月に入っても終わりそうになかった。ニュースや記事にもなり、色々な人がUSPでストライキが行われていることを知っていた。10月に入り、学生達の心情を見かねたCCINTの方達は私たち留学生のために不安や悩み、状況説明のための会議を設けてくれた。その会議でわかったのは「あくまで学生が主体となって行なっているストライキのためCCINTの方達(留学生科の方達)ですらもストライキがいつまで続くかわからない」「毎週月曜日に行われている”ストライキを続けるか否か”の投票でストライキの今後が決められている」「授業担当の先生によってストライキ間の対応が異なるため注意しておくこと」「時間はかかるかもしれないが、単位はもらえる。今までのストライキでも必ず単位は出してきた」ということ。単位はもらえると聞き、留学生達は安心していたもののCCINTの方達ですら終わりが見えない状態ということで、完全には気持ちが晴れない状態だったよう。ほとんどの授業がないままストライキ5週目を迎えた。そんな中、国際戦略部の方2人とzoomでお話しすることができ、気分が少し晴れた。  学長が要求の少ない学部から徐々に解決していったことで、10月17日ごろから授業を開始する学部が増えていった。私がとっているECAの授業も再開した。10月28日、ストライキ開始から1ヶ月以上経ち、ようやく全ての授業が再開された。そのきっかけとなったのは学長の発言である。学生ストライキを受け、学長は「単位取得の最低ラインを出席率70%に下げる」と発表した。そのため来週ストライキを続けた場合、全員が今学期の単位を全て落とすことになる。半分脅された学生達は、ストライキを終結させようとした。ストライキが終結したのは、それだけが理由ではなくストライキの勢いが弱まってきたからであった。そのため、一旦授業を再開し、再度またクラスを周って演説し人集めをする必要があると判断し、ストライキが(一旦)終結したようである。私は授業がまた再開されて嬉しい気持ちを持ちつつも、FFLCHの問題は解決されていないため、正直なところ「この時間は何だったの」という気持ちを抱えていた。 ・陸上の大会  後に述べるBiffeの大会の前に、Meetingという顔合わせの大会のようなものがあった。私はそこまでたくさんの頻度で陸上部に顔を出していないが、4×100mリレーと4×400mリレーの1走としてエントリーしてくれた。しかしながら私は大会2日前の練習で左腿裏の軽い肉離れを起こしてしまった。単なる運動不足が原因だと思う。一回は大会に出たいと思い、少しでも治すために最善を尽くした。  大会当日、USPの陸上競技場にはMizunoの方達や、他の大学の人たちがたくさん集まっていた。高校ぶりに大会の雰囲気を感じ、とても楽しい気分になった。アップをする場所もあまりなく、招集も簡易的だったが、皆一生懸命だった。私は100mにもエントリーしていた。実際走ってみるとやっぱり楽しかった。が、怪我はやっぱり少しだけしか良くなっておらず、ゴール近くで太ももに痛みを感じた。タイムは、やっぱり走っていないだけあり、それがそのまま出た結果だった。次のリレーに向けて休んでいる間も太ももはずっと痛んでおり、友達に「無理して走らなくていいよ」と言われてもどうしても走りたかったためテーピングをぐるぐるに巻いてリレーを走った。想像通り、立っていられないほど脚が痛くなってしまい、マイルリレーは諦め、ごめんねと言って応援にきてくれていた友達に介抱され家に帰った。結果は最悪だったが、USPの大会に出れてとても嬉しかった。  私が太ももを冷やしている時、ブラジル人の友達が「私のこのマッサージのやつ使っていいよ!私もこれで良くなったから」と差し出してくれた。実際のところ肉離れした直後にマッサージを行うのはあまり良くない。この怪我が肉離れであることは見当がついており、友達にも伝えていた。しかしながら彼女にマッサージを勧められた。本格的に陸上競技を行なっているようなチームではないため、単に陸上競技でしてしまう怪我についてあまり詳しくないだけかもしれないが、病院に行く機会が少ないことも関係しているのではないかなと思った。ブラジルには、お金を払えばすぐに質の良い治療を受けられる病院と、無料ではあるがたくさんの時間待たなければ治療を受けられない病院がある。日本では、基本的に保険が効き、大抵の場合は高額なお金を支払うことのなくすぐに診察してもらうことができる。そのため日本で陸上をやっている友人達は違和感を感じた時点で、すぐに病院に行っていた。そのためおのずと怪我についても詳しくなっていた。一方、ブラジルでは、違和感を感じただけで病院に行くのは失う時間と労力が大きいため、病院にあまり行かず、何の怪我をしたのか何の治療をするべきなのかを知らないのだと私は考えた。病院が無料なのは魅力的だなあとブラジルにくる前までは考えていたが、無料であっても大きな怪我をした時や体調を崩した時、待たなければいけないと考えるとどっちもどっちだなと思った。 ・25 de Março  ロンドリーナのサッカークラブで選手としてプレーしている日本人選手と、同じ日本人留学生とともに25 de Marçoへ行った。なかなか女の人同士では行くのが怖く感じる場所なので、この機会に行けてよかった。 25 de Marçoというのは通りの名前で、ここにはたくさんの出店が並んでいたり、たくさんの安いお店があったりする。雑貨品だけではなく、服類やユニフォーム(偽物、レプリカ)が売っていたりして、ちょっとしたお土産に良い場所である。ユニフォームの偽物は、ブラジルで「falsa」と呼ばれている。偽物の中にも、かなりクオリティーの高いものが売っていたり、バリエーションも様々なのに加えて値引きもきいたりするため、飾るだけの人は偽物を買った方が良いのかもしれない。意外にも偽物ユニフォームを着用しているブラジル人は多い。偽物かどうかもし気になったら、これは偽物?と聞くと意外と正直に答えてくれる。 この場所はかなりの客引きが多く、アジア人というだけでかなりしつこく声をかけられたりする。「China!!!(中国人)」と勝手に決めつけられて叫ばれたりもするが、これは日常茶飯事なのでガン無視する方が無難である。人が多い時に行けば、何かされるということはないそう。この通りのすぐ近くにはMercado Municipalという、有名な市場がある。そこでもしつこい客引きがあったり、お金を詐欺られたりするため要注意だが、見る分には面白いと思う。  実のところ私は11年前によく25 de Marçoに家族で訪れていた。雑貨品を買ったり、帰国時期に大量のお土産を買ったりしていた。私はそろそろお土産のことも考えたいなと思い、父にお土産(Bomfim)の場所を尋ねたところ、父は鮮明に覚えていた。「マックの手前のビルの4階に売ってるよ」とのことだった。実際に行ってみると、11年越しではあるが本当にあった。記憶力が恐ろしいな、、と思った。他にも、私の見覚えのあるスーパーや景色が広がっておりとても懐かしい気持ちになった。11年越しでも、変わっていないものは変わっていないのだと。  私は小さい頃、この場所を訪れると必ず頭が痛くなっていた。空気が悪いからか何なのかはわからないが、、。そのためかなり身構えていったが、やっぱりこの私の伝説は本物で、またまた頭が痛くなった。後々、この空気の悪さで副鼻腔炎となり、病院のお世話になる。  一通り買い物をした後、大使館の日系人の方も一緒にoutbackでご飯を食べた。その中のお話で、5年前に留学生の会に行ったことがあるとおっしゃっており、世間はすごく狭いなと感じた。やっぱり、ブラジルの中で日本や日本語が絡んでくると一気に世間は狭くなる。 ・2度お世話になった海外保険と病院  陸上の大会で軽い肉離れを起こしたあと、なかなか良くならないため、海外保険の方に電話して病院のお世話になることに決めた。また全く同時期に副鼻腔炎で2、3日高熱が下がらず、またまた海外保険のお世話になった。私はこの時期に、「海外保険に入っていて本当に良かった」と強く感じた。というのも、もらった資料に電話をし、症状を伝えて病院に行きたいと伝えると親切かつ迅速に対応してくれるのである。幸いサンパウロのリベルダージには日系病院があり、通訳も要らなかった。もし日本語が通じない病院なのであれば、通訳の方もお願いすれば案内してくれる。予約まで行ってくれたため私は不安を抱えることなく診察を受けることができた。診察、薬代、通訳代も、手当対象内であれば全額負担してくださるのでとてもありがたかった。 もちろん無料の病院に行くという手もあるが、こういう時はせっかくの海外保険を頼って不自由ない病院へ行くのが一番だと感じた。 ・Biffe(大学内での総体のようなもの)  大体10月末から11月序盤にかけて、Biffeと呼ばれる総体のようなものが行われる。学部対抗で、様々なスポーツで戦う。ほとんどのスポーツは、Casa Brancaと呼ばれるちょっと離れた田舎で競技が行われ、夜はみんなでテントを張ったりホテルで過ごしたりする。また期間中の夜は毎日Festaがあり、ブラジル人の体力はお化けなんじゃないかと疑う。  陸上はCasa Brancaではなく、Ibirapueraの近くのスポーツセンターで行われた。本当は私も、100mとリレー2種類に出場できるはずが、また2日前のリレー合わせの時に怪我を再発させてしまった。今度はしっかりと肉が切れる「ピキっ」という音を聞いてしまった。。。結局アップの時点でもう走ることさえできなかったため、また他のメンバーにごめんねと言い、出場は完全に諦めた。不完全燃焼で悔しさは拭えなかったが、みんなが走ってる姿を見るだけでもBiffeという大きな大会の雰囲気を味わえたと思う。みんなが一生懸命に応援していて、大人になっても熱いところがなんかいいなあと感じた。  FFLCHの男子は総合2位だった。みんな喜び、FFLCHのよくわからない歌を大熱唱していて、面白かった。他の学部の表彰でも一緒に歌っていて、見ていてとても楽しかった。  リレーで2走の子のご両親が大会を観に来ていて、その子とは家も同じ建物のため帰りは車で一緒に送ってくれた。その子は私の話をご両親にしていたようで、ご両親から私に話しかけてくれた。彼女は、私の走りがとても好きで、一緒にリレーで走れなくて残念だったと言ってくれ、とても嬉しかった。  結局走ることはできなかったが、以前から聞いていたBiffeの空気感を味わえて良かったと思う。 ・卓球バレー ボランティア  12月頃、日本から卓球バレーの指導者である、日本卓球バレー連盟の会長さんがブラジルへと卓球バレーの普及に来る。会長さんが来られるのは今年で8回目で、徐々にこのスポーツはブラジルの一部の場所で浸透し始めている。私たちは通訳ボランティアを行うために、まず初めに卓球バレーのルールについて知ることが必要であったため、実際にリハビリの施設に行って体験したりした。私が行った施設では、視覚障害を持った方達が中心にプレーしていた。また他の日には、私立大学を訪ねて卓球バレーを体験した。先日の施設にいた弱視の方々とは別にその大学に通っている体育学部の学生たちも一緒に卓球バレーをしていた。どちらの人たちも皆とても楽しそうで、障がいを持ってい手もいなくても楽しめるスポーツは良いなと感じた。実際のところ、少しだけルールは複雑だったが、誰でもすぐに覚えられるような内容だった。  練習が行われているのが平日だけということもあり、授業を履修している私にとっては、良くも悪くもストライキのおかげでまとまった時間が取れた。これから時期が近くなるにつれて行わなければならない内容も増えてくるので頑張りたい。  余談として、私立大学にはスターバックスがあったり、サブウェイがあったりなどお金持ち感が漂っていた。ブラジルでは公立大学は学費が無料であるため、やっぱり私立と公立を比べるとだいぶ差があるなと感じた。ただ敷地面積を比べると、USPのほうがとてつもなく広かったので、やっぱりUSPの方が好き。 ・新しいスポーツボランティアの決定  ブラジルとメキシコで、日本人駐在員のお子さんを対象にスポーツアカデミーを行なっている、日本人元プロサッカー選手とお食事ができる機会があった。その方は、以前 25 de Marçoに一緒に行かせてもらった方のお知り合いで、それを機にお話をさせてもらえることになった。お話自体も、とても面白く勉強になった上、1月ごろに子供のスポーツ合宿を行うためそこでのサポートと「陸上のミニ授業」をしてほしいとお願いしてくださった。これもなかなかない機会なので、喜んでお手伝いすることになった。 ・ハロウィン  私はボランティアの集まりが31日にあったこともあり、ハロウィンの日に特に何かをすることもなかった。が、ハロウィンのフェスタがあったりと、ブラジルでも楽しいイベントがあるためぜひ行ってみてほしい。 ブラジルでは、10月31日はハロウィンの日以外に「妖怪少年サッシ・ペレレの日」としても知られている。この日はちょうど外国人向けのポルトガル語の授業があった。その授業中、突然ハロウィンの仮装をした人たちが来て、授業費用の振り込み書を置いて帰っていった。なんというプレゼント。 [授業]  今月もストライキの影響でほとんど授業がなかったが、来月には全ての授業が再開される。 ECAは一足早く授業が再開された。私がとっているスポーツジャーナリズムの授業はとても面白く、実技系の授業もある。実際に今月は、出された質問に対しての回答を書き、それをラジオスタジオで読むというものだった。もちろんポルトガル語で読むため、緊張したが、平等に喋り方のアドバイスをしてくれてとても嬉しかった。 ※記載の生活費には、まだ保険金を受け取っていない病院への交通費や薬代が含まれているため少し高くなっています。 ※以下はサンパウロへの留学を考えている方へ。参考までに知っておいた方が良い情報を掻い摘んで書いています。(上記と重複有り) あくまでも私の知見です。 —————————————————————————————————————————————————ーーー ・海外保険について  ブラジルに留学する人たちは、大学指定の海外保険に入ると思う。色々なことを補償してくれるため、お金を払った分、困った時は積極的に利用した方がお得です。例えば、私が熱を出した時の手順を説明します。書かれている番号に電話し、必要な情報を伝え、保険対象内かどうかを確認しました。東京海上日動の方々はとても親切で迅速に対応してくれました。そして病院の予約をお願いし、予約時間に病院に行き、保険証(海外保険の)を提示して、出された指定の紙に記入をします。その後診察を受け、薬局に行き処方箋の薬を購入して帰宅。東京海上日動の負担か、自費で支払ったあと保険金申請を行うか場合によって異なります。私の場合、予約してくださった病院がキャッシュレス対応だったため診察に関してはお金を払うことなく帰宅することができました。また薬代については、一旦自身で立て替えて、そのレシートを送ればその分のお金を振り込んでもらうことができます。もちろん!交通費も負担してくださるので、Uberタクシーで行くことをおすすめします。すぐ日本の銀行に振り込んでもらうこともでき、帰国後に保険金申請でその後振り込んでもらうこともできます。その手続きは全てネットで行えました。私はすぐ日本の口座に振り込んでもらう方を選択し、約2週間経たずに受け取ることができました。 ・病院、薬  サンパウロのリベルダージにはEnkyoという日系病院があります。そこは日本語が通じ、日本語で診察を受けることができるため安心です。もし日本語が通じない病院に行くことになっても、海外保険の方に電話して、通訳をつけてもらうことも可能なので、ぜひ電話してみてください。有料でなくとも、無料で診察を受けられる病院もあります。SESCやUSP内にある病院などです。上で述べましたが、そこでは長い時間待つ必要があったりするため、ブラジルの病院を体験してみたい!!という方にしかおすすめしません、、友人の話だと薬代も無料だったそうです。  処方箋の薬代を実際に払うと、10000円以上かかりました。保険金がおりて本当によかったです。もちろん効果は抜群で、すぐ治りました。日本から薬を持参すると思いますが、何か体調が悪い時は必ず病院へ行くことをおすすめします。よくない病気だったり、日本と同じ症状でも日本の薬では効かない場合もあるので、、。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
2023-09
 留学から7ヶ月が経った。タイトルにもある通り、9月は悪い出来事が続き、苦しんで悩むことが多かった。その上、長期間の学生ストライキも起こった。もちろん楽しいこともあったが、その楽しさを糧に乗り越えられないほど私にとってショックな出来事が次々と起きたことで寝れない日々が続き、気分が回復するのに時間がかかった。 [気候]  日中は暖かく、半袖で過ごせる日が多かった。朝晩は先月同様少し冷えるため長袖が必要だったが、そんな日は先月よりも減っていった。 [生活] ・アルゼンチン旅行!!  アルゼンチン旅行について考え始めたのは、先月先輩がサンパウロに旅行しに来たときである。特に南米は、他の国々に比べて旅行するのに少し勇気がいる。今後日本に帰って、「よしアルゼンチンに旅行しよう!」と例え思ったとしてもおそらく言語も治安も、そして費用も未知の世界で、ハードルが高くていけない。知り合いがいるうちに旅行したほうが良いな。と思ったのがきっかけである。  ブエノスアイレスへの飛行機は、往路がコルドバを経由しているものを買った。購入したのが8月末だったため、往復で約6万円ほどかかった。データ通信に関しては、ブラジルで私が使用しているVIVOという会社で他国用のデータ通信プリペイドがあったため、それを購入した。アルゼンチンは現在物価の上がり下がりが激しいようで、私がちょうど行ったときは下がっている途中だった。そのため買い物やご飯に関しては安く収めることができる。またレートは2つあり、ブルーレートで換金するとかなりお得らしい。アルゼンチンではあまりクレジットを使わないようで、主に現金を使用する。そのため換金は空港でするのではなく、できるだけブルーレートを扱っている換金所で行ったほうが良いらしい。  空港に着いて、まずはじめに思ったのが「予想以上に寒い、、」ブラジルもアルゼンチンもまだ冬の時期だが、やはりサンパウロとは緯度が違うため、アルゼンチンのほうが圧倒的に寒かった。私はヒートテックや長袖とトレーナー二枚着ていたが、それでも寒かったため極寒と言って良いと思う。 コルドバではストップオーバーを利用して1人で旅行した。まず初めに有名な競技場をみたあと、予約したAirbnbに荷物を置きに行った。ホストの方は、ポルトガル語も話せる方で、会話はすべてポルトガル語で行うことができ、とても良い練習になった。彼はとても優しくて、コルドバの町を一緒に歩いて細かく案内してくれた。Iglesia del sagrado corazónをみたり、おいしいパン屋さんを紹介してもらったり、石畳のおしゃれな街並みを見せてくれたりした。コルドバは私が考えていたよりも素敵な街で、さすが第二の都市(アルゼンチン)と言われるくらいだなと感じた。  次の日の早朝の便で、私はブエノスアイレスへと向かった。空港につき、Uberを捕まえて、アルゼンチンで留学している別の大学の先輩の家の近くまで向かった。到着したとき、私はデータ通信を追加購入するのを忘れてネットがない状況にいることに気づいた。私はとても焦って周りを見渡したが、話しかけられるような人がおらず、少し歩いてコンビニまで行った。お水を購入するついでに、私は試しにポルトガル語で「wifiを貸してください」と尋ねると、しっかりと通じた。その後、なんとか先輩と会うことができた。聞いていた通り、意外とポルトガル語でも通じるらしい。(もちろん内容によりけり)   先輩はまず初めにサンテルモ地区を案内してくれた。その日はちょうど日曜日でとてつもなく長いフェイラ(雑貨の屋台のようなもの)があった。どれもアルゼンチンっぽいものばかりで、ただ歩いているだけでも楽しかった。それから大きな市場を訪れた。そこには様々な国の料理店が集まっていた。サンパウロにも似たようなものがあり、ちょっとした共通点を見つけた。ちょうどお昼の時間だったので、そこでアルゼンチンで有名なミラネサとエンパナーダを注文した。食べきれないくらいの大きなお肉が運ばれてきてとても驚いた。アルゼンチンではブラジルと同じようにDoce de leite(Dulce de leche)が有名で、専門店まであった。私はDoce de leiteの大ファンであるため、思わず購入してしまった。  その後はレコレータ地区へと移動し、文化センターを訪れた。そこには展示や広々とした勉強スペースなどがありすごくおしゃれで、私の家の近くにもこのような場所がほしいなと思った。途中でKUISの先輩とも合流させてもらい、国立装飾芸術博物館を訪ねた。夕方にはカフェでミルクシェイクとケーキという甘々なスイーツを食べて、世界で二番目に美しいと言われているエル・アテネオという本屋さんを訪れた。まるで劇場かのように装飾されていてとても綺麗だった。宿泊先まで送ってもらい、久しぶりの湯船を楽しんで、私は日本でもブラジルでもなくアルゼンチンで誕生日を迎えた。  ブエノスアイレス2日目は、朝にMedialunaという甘いクロワッサンを食べた。これはアルゼンチン人の朝食で、甘さ慣れしていない方からすると甘々なクロワッサンだと思う。しかしながら私は完全にブラジルで甘さ特訓を受けているため、特に甘い!!!!と感じることもなく美味しくいただくことができた。慣れって怖いです、、、。  ブエノスアイレスには世界一幅が広い道路がある。実際渡ってみたが確かに一回で渡り着ることはできなかった。全速力で走ってみたらどうなるのか、少しだけ気になる。その後はPuerto Maderoに行った。ここは川に面した地域で、キッチンカーやレストランなどがズラッと並んでいる。近くのベンチに座って、寄ってくる鳩と戦いながら、お昼ごはんのチョリパンとスブマリノを食べた。デザートにはジェラートを食べ、幸せな時間を過ごした。日が暮れる前にサンテルモで買い物をし、道端のタンゴを観たりした。かの有名なオベリスコに行く途中には、ブロードウェイのような街並みを見ることもできた。ブラジルに比べ、おしゃれできれいな格好をしている方が殆どで、治安の落ち着きを感じた。あまり良い感想は出てこないが、オベリスコはとても大きかった。夜ご飯にはケンタッキーというチキン、ではなくピザを食べた。生地がパンのようにふわふわしていた。ブラジルのピザは生地が薄く、具材がドンッとしたようなものが多い。私的にはアルゼンチンのピザ派かもしれない。  3日目の前半は、KUISの先輩が案内してくださった。美味しいパスタを食べ、Floralis Genéricaをみた。これは金属彫刻だが、日中は花が開き夜になると閉じるという本当の花のような彫刻である。その後はバスに乗って日本庭園へと向かった。ブエノスアイレスのバスは、サンパウロのバスに比べ意外にもシンプルな感じだった。ブエノスアイレスの日本庭園は、本当に日本のような庭園だった。中には鳥居やおみくじもあったり、また折り紙をしたりした。少しだけ時間がすすむのが遅くなったような、そんな穏やかな時間を過ごした。日本庭園を訪れたあと、留学生の先輩が彼女に代わってパレルモ地区を案内してくださった。ここにはおしゃれなカフェやレストランが沢山ある。またまたジェラートを食べたり、ラパヌイというチョコレートブランドのチョコを食べたりした。どれも甘くて美味しく、ほっぺたが落ちそうだった。落ちた。その後はレコレータ地区に戻り、バーへと行った。そこで私は初めてフェルネット・ブランカのコーラ割り(アルゼンチンで有名なお酒)を飲んだ。フェルネット・ブランカ自体はイタリアの製品らしく、コーラで割ったものがアルゼンチンのお酒らしい。先輩から聞いていた通り、うがい薬のイソジンの味がした。私の舌はまだ子供のため、美味しい!!!とは思えなかったが、飲めてとても嬉しかった。3日目もまたまた幸せな時間を過ごしてしまった。  4日目、観光ができる最終日。この日は留学生の先輩とKUISの先輩と一緒に、ラ・ボカのカミニートを訪ねた。ここにはとってもカラフルな建物が並んでいる。またそれだけでなくお土産がたくさん売っている。アルゼンチンで有名なキャラクター、マファルダのトートバックもあり、購入した。はじめはあまり可愛いと思っていなかったマファルダも、何度も見ているうちに愛着が湧いてしまった。お昼ごはんには、スペイン語圏で有名なアサードという焼肉料理を食べた。このお店は、ありがたいことにKUISの先輩が予約してくださっていた。ブラジルにもシュラスコ(churrasco)という似たようなお肉料理があるが、焼き方が違う様。シュラスコは、お肉を炭火で炙るように焼くのに対し、アサードは熾火の熱で部位そのままのブロック肉を燻すように焼く。個人的にはアサードのほうが、引きずる味が少ないため食べやすいなと感じた。お腹いっぱい食べたあとは、博物館を見学し、美味しいクレープを食べたあと、昨日行ったバーに再び行った。ホテルに帰ったのは2時近くだったが、ブラジルに比べ治安は落ち着いているようで、私がよく感じる危険な匂いを感じなかった。 あっという間に帰国日(ブラジルへ)となり、やはり楽しい時間は早く過ぎるのだと実感した。飛行機に乗り、サンパウロに3時間ほどかけて戻った。  ブエノスアイレスは、徒歩圏内に様々な観光地が詰まっており、観光客の立場からするととてもありがたいなと思う。また、危険と言われているサンパウロで過ごしているからか、夜中も出歩くことができるくらいブエノスアイレスは治安が非常に落ち着いているように感じた。街並みもまるでパリのようにおしゃれで、もう一度行きたくなってしまうような、そんな場所だった。だからこそ私はブラジルと比較してしまい、少しだけ落ち込んでしまった。もちろん国同士を比べるのにはとても無理はあるが、アルゼンチンではできることがブラジルではできない。と感じてしまい、ほんの少しだけ苦しくなった。  Airbnbの方にも助けられ、更に二人の先輩には、授業もお仕事もあるにも関わらず付きっきりで案内してくださったり、プランを練ってくれたりして、感謝してもしきれない。素敵な約一週間の旅となった。 ・悲しかったこと①  土日にリベルダージに行くと、大体フェイラが行われている。私はCaldo de canaが好きなので、その日はそれを飲もうと思っていた。お店で注文したとき、若い男の人がばかにしたように私がいった言葉を1つ1つ真似してきた。嫌だな。と思い、なんで笑うの?と聞いたら、彼は嫌な笑い方で「発音が”違うから”」と言った。私はとても嫌な気分、というより悲しい気持ちになってすぐに家に帰った。家に帰っても、言われた言葉がずっと頭に残り、何回も頭の中を流れた。私は元々自分のポルトガル語を話す能力や発音に自信がなく、留学を半年終えて、やっと少しの自信がついたところだった。そんな中こういうことを言われてしまい、ジェンガが崩れたときのように今まで培ったちょっとの自信を失ってしまった。たった一人の人にとはいえバカにしたように笑われたのはとても悲しくて、結局のところ一週間程度夜もよく寝れない日が続き、ブラジル人と話すことが怖くなってしまい、コミュニケーションを避けようと、せっかく始めたスポーツの授業も休むことになった。日本の友達に電話したり、自分を理解してくれているブラジル人の友人と話したりして、自信は失ったままではあるが、気分はだんだんと立て直す事ができた。 ・悲しかったこと②  私のアパートは個室はありつつも4人で2つのトイレとお風呂、そしてキッチンを共有している。以前も書いた通り、4人中2人は片付けが得意ではなく、キッチンが散らかされたままの状態が数日続く事がよくある。あまり言うと「うるさい」「pessoa chata」と思われるのは知っていたため、自分が使うときや邪魔なときだけグループwhatsでお願いをしていた。悲しい出来事が起きたその日は、私と片付けのできないBとその友人以外アパートにはいなかった。私がシャワーを浴びに行こうとすると、私ともう1人(かたづけのできる人)だけが使用するお風呂に彼女の友達の水着やタオルがおいてあった。濡れてしまうため、片付けてほしいとお願いしてもしばらく来ず、またお願いしてようやく片付けてくれた。その後シャワーを浴び、部屋で髪の毛を乾かしていると、ドアをノックされた。Bの友人は私に「私のシャンプーとかゴミ箱に捨てたでしょ。」と言った。色や形を聞いたが、見覚えがないし、ましてやゴミ箱に入れてすらもいない。私は一切何もしていないのに私がやったと言われた。また、「あの世に行って」と私にわかるように英語で叫ばれた。その後Bと友人はアパートを出ていったため、私はリビングに行くと、紙が置かれていた。そこにはつらつらと悪口とともに「ちゃんとしたコミュニケーションを学べ。」と書かれていた。ついでに署名もあった。本当に状況が理解できず、ただただ悲しい気持ちになっていると彼女たちはなにかをしに一旦部屋へ戻ってきた。私が「これは私に書いたの?私本当に何も知らないよ?」というと、「じゃああなた(私)以外誰もいないのに誰がやったんだろうねえ」と笑いながら言われた。そして彼女らはまた外へ出ていったが、私は何もしていないのに悪口を言われ、書かれ、とてつもなく悲しくなってしまった。耐えきれずに泣きながらブラジル人の2人の友人に話を聞いてもらった。彼らは、悲しくて起こる元気もない私のかわりに、自分のことのようにとても怒ってくれた。Bの部屋と私の部屋は隣同士で、壁も薄いため話し声はだいたい聞こえる。そのため私は毎日家で不安で怖いきもちになっていた。家にいるとよくないと思い、友人に外で一緒にいてもらったり、日本の友達に長電話をしてもらったりした。前の悲しい出来事からまだ立ち直って数日でまたこのような出来事が起き、私はまたエネルギーを失ってしまった。また寝付きが悪い日々が続いた。引っ越すかどうか考えていたとき、別の部屋の子は私に「彼女が引っ越す話をしていた」と教えてくれ、1ヶ月たってBは引っ越しをした。そのおかげで私は回復することができたが、今思い出してもとても悲しくなる。他国に住むこと、異なる文化を持つ人が一緒に住むのはこんなにも難しいのか。と感じた。 ・フェスタ  私はいままであまりフェスタに行かなかったが、上記の出来事で家に帰りたくなくて、初めてUSPの通常のフェスタに行った。このときのフェスタは、よる1時までは洋楽、その後朝方まではファンキ(ブラジルの若者の中ではやっている音楽、一定のリズム)だった。私が想像していたよりも楽しく、また行きたいと思った。 ・ストライキ  9月18日から学生ストライキが始まった。この学生ストライキは学長が条件をのむまで終わらないと言われていた。ストライキ間、校舎は閉鎖され、FFLCHや他のほとんどの学部の授業は完全になくなった。FFLCH、特にLetras(文学部)が求めていたのは、教師の雇用改善であった。韓国語専攻は人気であるのにも関わらず、教師は一人しかいないため、来年は専攻自体がなくなると言われていた。また、日本語専攻も教師が足りておらず、いくつかの授業がキャンセルとなっていた。私が履修したかった授業もその1つである。このストライキは、学生が中心となって行われていたため、学生がストライキを終わりにすれば授業は再開することになる。しかしながら教師雇用の問題は深刻で、学長は今までも条件をのまなかったため、今回の学生ストライキは長期化すると周りの皆は言っていた。  ストライキ中には、イベント講義や、デモ行進などがあった。デモ行進は、USP内や近くの地域をバテリア(楽器)隊とともにフレーズを叫びながら歩く。色々な学部が集結していた。  今回のストライキで、一部の留学生はとても不安を感じていた。特に後期から留学に来た学生たちはそうだった。というのも、もしストライキが長期化すると、授業も受けられずに自国へと帰ることになる。そうすると単位を貰えず、奨学金もなくなってしまう。自由な時間がたくさんできて、旅行をするお金もあまりない上にいつ終わるかわからないため遠出できないことで他の学生たちは不安な日々をおくっていた。私も、留学中の単位が必要なため、単位に関してとても心配していた。ちょうど冬休みに新たなボランティア活動に参加したことで、幸いストライキ中にできることがあった。また、私が履修しているポルトガル語の授業とスポーツ実技(空手、サッカー、カポエイラ)の授業は行われていたためそれらの授業に行っていた。 9月の時点ではストライキがまだいつ終わるかわからない。おそらく10月もまだストライキ中だろう、、。 ・ポルトガル語博物館  中旬に、サッカーの授業の友達達とポルトガル語博物館に行った。この博物館はLuz駅に併設されており、近くにはpinacotecaという有名な美術館もある。ポルトガル語の博物館にはもちろん様々な展示があり、ポルトガル語の歴史についても書かれていた。 ・Rua augusta  家から逃げるために、友達とRua Augustaにあるバーに行った。Rua Augustaという通りはパウリスタ通りの近くにあり、たくさんのおしゃれなバーがあることで有名である。中には生演奏を聴きながらお酒を飲むことのできる場所もある。そう高くもなく、サケリーニャを飲んで落ち着いて過ごすことができた。 ・眠れない日々  今月は何かと不安を抱えることが多く、寝つきが悪い日が多かった。でもどうにかして寝ないといけないと思っていると、以前ポル語専攻の先生から「男の人から、「君のことを考えていたら眠れなくなってしまったよ」と言われたら、「睡眠にはパッションフルーツがいいそうよ。」と言いなさい」と言われていたのを思い出した。調べてみると確かに不眠にはパッションフルーツのジュースが良いと言うことがわかった。ブラジルではマラクジャのジュースである。実際飲んだら本当に寝つきが良くなった。まさかここで先生の言葉が役にたつとは思ってもいなかったが、無事寝つきも前よりは良くなり安心した。 [授業]  ストライキの影響で、9月はほとんど授業がなかった。 ※以下はサンパウロへの留学を考えている方へ。参考までに知っておいた方が良い情報を掻い摘んで書いています。(上記と重複有り) あくまでも私の知見です。 ——————————————————————————————————————————————— ・住居について  上記の「悲しかったこと②」に書かれているような出来事が起きて思ったのは、もちろん私が今住んでいるSHAREは立地も施設も素晴らしいなと思っているが、引っ越しするのにも部屋を変えるのにも大きなお金を取られてしまうということと、自由に引越しができないのが問題だと感じた。「ブラジルだから」と許容できることもあれば、そもそもの人間性で耐えられないこともあるため、出来る限り引っ越しのしやすい場所が良いのかなあと感じた。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
2023-08
 留学生活も今月で折り返し。いざ半年過ごしてみると、1日1日は濃く長いように感じたが、全体としてはあっという間だったようにも感じる。上旬には冬休みが終わり、留学生活最後の履修登録期間があった。今月も盛りだくさんの月で、いろいろなことを経験したがその反動で体調を崩してしまった。体調のことも考えつつも、これからも色々なことを知り学びたい。 [気候]  7月よりは暖かくなってきたが、朝晩はまだ寒いため長袖が必要な時が多かった。ただ暑い日も時々あるため、気温差が激しい。体調管理には要注意。 [生活] ・2回目の大学オリエンテーション  内容は前回と同じだったが、半年過ごしてきて少しは成長したのか、話している内容を全て理解することができた。今期も前期と同じく様々な国からの留学生が来ていて、中でも中国人留学生がとても多く来ていた。半年過ごしてきた上でこのオリエンテーションに出ると、まだブラジルに来たばかりの自分を思い出し懐かしくなると同時に、ブラジルで生活をするための精神面で少しの成長がみられた。 ・2回目のリオ旅行!  オリエンテーションが終わった後すぐにバスに乗り、リオへ向かった。先月のレポートで書いたアルゼンチンからの友人(KUIS生とその友達)がサンパウロに続いてリオに行くことになっており、「来なよ!」と言われ、先輩たちにまた会えるのと、前回行けなかった場所に行けるということもあり、足が勝手にリオへ向かっていた。オリエンテーションの後にバスに乗ったため、リオに到着したのは午後9時頃だった。その日は近くのお店で美味しいリゾットを食べて終えた。  2日目はかの有名なJardim botânicoに行った後、copacabanaのビーチへ行った。Jardim botânicoは沢山の木々が並んでおり、小動物などもいた。自然がとても豊かで、心が浄化されるような感覚がした。お昼ご飯は近くにある美術館に併設されているおしゃれなレストランで食べた。その後Havaianas(ブラジルで有名なサンダルのお店)に行き、ブラジルカラーのラインが入った白いサンダルを買った。このお店はブラジルのどこにでもあるのだが、お値段は安くないので今まで渋っていた、がようやく買った。みんなで買ったサンダルを履いてコパカバーナへと歩いて向かった。砂と海は想像以上に綺麗で、日本とは比べ物にならないほどだった。若干風が冷たく、空気も冷えていたので中に入ることはできなかったが、砂浜に座って海を見ているだけでも十分幸せな時間だった。コパカバーナは盗難被害が多いと聞いており、いつもより、より一層気を付けていたため何も被害なく帰ることができた。海沿いにはお店を出している人がたくさんいるため、ぼったくりに注意すればお土産の購入にはちょうど良いかもしれない。  3日目は、同じタイミングでリオに来ている、KUIS留学生&KUISに留学に来ていたブラジル人と海沿いの景色が良いレストランで食事をすることになっていた。またまた再会することができとても嬉しかった。お昼からサケリーニャを飲み、食事を楽しんだ。その後カフェに行き、私はチョコの飲み物を注文したのだが、それが思ったよりもチョコチョコしていて甘党の私でも飲むのに少し苦労した。メニューにあるということは需要があるということとなので、さすがブラジル。。少しの間そのカフェで過ごし、アルゼンチン組のお二人のフライト時間が迫ってきたためお別れすることになった。私もその後サンパウロ行きのバスの時間が迫っていたので、友達とブラジル人の友達と泣く泣くお別れをしタクシーでバスターミナルへと向かった。 ・沖縄祭りボランティア  Atibaiaの日本人栗農家さんのお手伝いをするために、沖縄祭りに参加した。その日は気温が高かったにも関わらずとてもたくさんの人がお祭りに参加していた。屋台もたくさんでていて、雰囲気としては夏祭りのようだった。お店では、私は接客ではなく料理のお手伝いをしていたためお客さんと話す機会はなかったが、栗を売っていたり和牛丼を売っているからか、日本人のお客さんが多かった。ブラジルの栗はあまり甘くないと言われていて、また和牛を手に入れるのもそう簡単ではないため、駐在員の方も食べたくなるのかなと。数日後に会う予定だったKUISのポルトガル語のGustavo先生も丁度沖縄祭りに訪れていて、一足先に約半年ぶりの再会ができて嬉しかった。お客さんが落ち着いてきた頃に、他のお店回ってきていいよと言われたため、お店を回っているとそうきそばを見つけ買って食べたが、やっぱり日本の食べ物は落ち着くなあと感じた。お祭りの終盤には、宮沢和史さんご本人による「風になりたい」を生で聞くことができてとても感動した。また「島人ぬ宝」や「島唄」なども聞くことができ、昨年の11月にボランティアとして参加させてもらったウチナーンチュ大会の雰囲気を思い出した。お祭りも終わり、片付け途中に隣のお店の女の子がかき氷をくれたりチョコレートをくれたりして優しさを感じた。作業自体は夜中の0時くらいまで続き、へとへとだったがとても良い経験をさせてもらえたと思う。沖縄移民が多いことももちろん理由の一つだとは思うが、やはり日本の文化や沖縄の文化にこれだけの人を集める理由があり、そういった事実に感動した。 ・3回目の運動会 em Bragança  留学に来て3回目の運動会に参加することになった。BragançaはAtibaiaの近くにあり、先月のレポートにも書いた日本語学校がある場所。競技内容はほとんど前二回の運動会で書いた内容と同じなので省略したい。唯一違かったのは飴食い競争があったくらいだと思う。テレビでは見たことがあったが、実際に参加したのは初めてだったので楽しかった。小麦粉の中から飴を探し出すのは難しかったが、競技が終わった後みんなでトイレに駆け込み笑いながら顔を洗うのはとても楽しかった。久々にハチマキを巻いてリレーを走ったりして、日本のように運動会を楽しんだ。夜ご飯ははBragançaで日本語を教えている教師のお家にお邪魔し、Braganca名物など夕飯をご馳走になった。 ・Kuis留学生&Gustavo先生サンパウロでの再会  サンパウロで会うことは留学前から先生と話していた。もうその時が来たのかと、この約半年間の時の早さにびっくりした。ジュイスに留学している友人とは会いすぎているくらい、留学中に会っている。初めて色々なアラブ料理を食べたが、とても美味しかった。色々な会話の中で、先生に今の私は以前と変わったか聞くと、変わったと答えてくれて嬉しかったのを覚えている。その後はJapan Houseに初めて行き、日本のおもちゃに関する展示を見た。 ・サンパウロ日本人学校の友達と11年ぶりの再会!  私は小学生の頃3年間だけサンパウロの日本人学校に通っていたのだが、約11年ぶりにまたサンパウロでその時の友達と会うことができた。当たり前ながら11年前は携帯を持っておらず、彼女の連絡先は持っていなかったが、昔も今も日本人学校に勤めている先生づてに彼女がまたブラジルに来ていると言うことを知り、こうして会うことができた。彼女もラテン系の言語に興味を持ち、勉強するために半年間サンパウロに来ていたそう。色々な話をしたが、またこうしてブラジルで会えるとは思ってもなかったし、自分がポルトガル語に興味を持つとはその時は一切思っていなかったため、とても感慨深い時間となった。 [住居] ・相次ぐ停電  8月に入ってから、急に建物の電気が脆くなった。少しでも強い雨が降るとすぐに停電してしまう。建物内のいくつかの施設の電力は別回線となっているため、非常用レンジや冷蔵庫はあるのだが、私が住んでいる建物には、1000人を超える人が住んでいるため取り合いになる。家賃も安くはないため、電力配線をどうにかしてほしいなあと思いながら過ごしている。 ・荒れた共有スペース、、、  先月ごろから、片付けに関する問題が続いている。食べた物も洗わずにやりっぱなし、食べ物もほったらかし、食べこぼしも拭かないという状況が続いている。夜にフェスタがある金曜日は特にひどい。友達を連れてきて盛大に汚してからフェスタに行く。やりっぱなしで放置されているため、料理もできない。もしかしたら帰ってきたら片付けるかもしれないと思い、一旦我慢し毎回次の日の夜まで待つが片付けてはくれない。。  他のrepúblicaでもこう言った片づけできない問題があるようだが、聞いてみたらこれは結構酷い方らしい。先月も汚しているかたたちへお願いをしたが、何度も繰り返すため、また言わなければならないのが非常に苦である。言い争いはしたくないので、少しは改善してほしいのだが、、、  また、ナイフが上に向けて乾かされていたり、トースターが落ちそうなところギリギリに置かれていたりと、危険なこともちらほら。実際に上に向けられている刃が私の手首に当たってしまい切り傷ができてしまった。本当に危ないので早急に伝えたが、本当に困っている。 [授業]  今学期は、念願の言語心理学や他学部のスポーツジャーナリズムの授業を取ることができ、加えてスポーツの授業(サッカー、空手、カポエイラ)も履修する。スポーツの授業は、月水それぞれ朝昼夜と授業があるためかなりハードになるだろう。 ※写真 左は、リオデジャネイロ。 右は、先生たちとの再会、ブラジルに咲いていた桜、空手、ボランティア活動。 ※以下はサンパウロへの留学を考えている方へ。参考までに知っておいた方が良い情報を掻い摘んで書いています。(上記と重複有り) あくまでも私の知見です。 ———————————————————————————————————————————————— ・ブラジルでの口座開設  基本的にブラジルに来ている留学生は、Nubankというネット上の口座を使用しています。NubankはRNMのカードさえあれば1日も経たずに現地の口座を開設をすることができます。店舗をかまえている銀行で口座を作ろうと試みている人もいましたが、現地での収入がないという点で開設することができていませんでした。そのため短時間で簡単に使用できるNubankがおすすめです。ブラジルのそれぞれの銀行にはpixという、日本でいうpaypayのような機能があります。それは住居の支払いをする事ができたり、割り勘で使用できたり、スマホで決済できたりするため非常に便利です。pixは口座を開設さえすれば使用することができます。 ・日本の口座からの送金  日本の口座からの送金には、wiseというアプリがおすすめです。wiseにはデビット機能もあり、サンパウロでは実際に買い物で使用できました。日本の口座とブラジルの口座を登録すれば、簡単に送金をすることができます。また、wiseは現金を下ろすときにも使用することができます。手数料も一定回数内は無料のため、クレジットカードのキャッシングなどよりかは追加の手数料を抑えることができます。 ・RNM(CRNM)について  またブラジルに来る可能性がある人は特に、日本に帰国後もRNMカードを大事に取っておく必要がある。3月の報告書でも述べたが、次回また外国人登録をする際、RNMが必要となります。もし私のようになくしてしまった場合は、紛失届の書類も追加で用意しなければならないため少し面倒です。またなくしてしまった場合、最低でもRNMの個人番号を覚えておけば手間が省けます。 ・滞在期間  学生ストライキが起こったり、やむを得ずに滞在期間を延長しなければならない可能性もあるでしょう。その場合、RNMカードに書かれているValidadeを確認してみてください。その日付がブラジルに’’滞在できる期間’’となります。VISAに書かれている期間は、’’ブラジルに入国できる’’期間です。 ちなみに私はVISAの期限が2月5日までで、RNMの期限が3月6日までとなっています。その場合は、RNMの期限まで滞在することができます。一応友人が連邦警察にて確認を取りましたが、これは参考程度で、制度が変わる可能性も十分にあるので必要になったときは確認してみてください。 ・日本から荷物を送ってもらうとき  住所、電話番号に加え、CPF(個人納税者番号)を記入するとしっかり届くことを確認しました。CPFはやはり必須のようです。もちろんここはブラジルなので、荷物が紛失してしまう可能性はあります。。紛失の可能性を除けば、禁止されているものを入れずに、記入するべきことを記入していればちゃんと届くでしょう。ラベルを作る際、CPFを記入する場所がないため、住所の欄に書きます。  日本から発送されたことを確認したら、行わなければいけないことがいくつかあります。 ①登録関係  CorreiosのHPでアカウントを作る→CPFなどの個人情報を登録→Minhas importações(Correios HP) にアクセス→追跡番号を入力→CPFを紐づけ です。荷物の追跡はAcompanhe seu objetoでできます。 ②支払い  税関に荷物が到着し、無事通るとMinhas importaçõesで追加料金の支払いができるようになります。Boletoという請求書が印刷できます。pixや銀行で直接支払うことが可能です。 課税対象額は、<記入した合計商品価格+輸送費(別途かかります)+保険料(保険に加入した人)>×0.6で計算することができます。またその料金プラス配達料金R$15が支払わなければならない額です。 私が実際に荷物を送ってもらったときは 4kg程度、商品価格5650円の物を送った場合、日本からの輸送費は15600円。 ブラジルで受け取る際にかかったお金は(商品価格R$183+別途輸送費R$505,28+保険料なし)×0.6=R$412,97 +郵送費R$15=R$428,82(日本円で約12000円)でした。 別途輸送費がかなりかかるため、送るものによっては割高になってしまうでしょう。私はブラジルで買えない物を送ってもらったため、納得できますが、もしブラジルでお金を出して買えるものであれば買ったほうがお得かもしれません。 これらの支払いが完了すると、自宅までの配送準備が始まります。 ・長期休み中のご飯  基本的にBandejão(学食)は開いているので、あまりお金を使いたくない人は学食でご飯を食べられます。祝日は開いていないので注意です。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
2023-07
月次報告書7月分
積もる経験
 7月上旬にはすでに授業が終わっており、残る期末レポートを終わらせると、すぐに冬休みが始まった。留学中初めての長期休み(とはいっても1ヶ月無いが)で、普段よりも多種多様な経験をすることができた1ヶ月だった。 [気候]  サンパウロの7月は、一応一年の中で一番寒い時期らしい。7月中は20度を下回ることが多く、基本長袖を着て生活をしていた。夜はさらに冷えるため、その上にパーカーを着たりしていた。ただ、ダウンジャケットを着るほどではない。 [生活] ・イグアスの滝旅行   旅行の行程はこんな感じ。小さい頃に行ったことがあるため、見たことのある場所、見たことのある物を今の景色と重ね合わせながらの旅行でなんだか嬉しかった。 1日目…夕方ごろブラジル側のイグアスの街に到着。バスで17時間。 2日目…アルゼンチン側のイグアスの滝観光。滝壺に突っ込むボートにも乗った。 3日目…ブラジル側のイグアスの滝観光。(4時間程度) パラグアイ、ブラジル、アルゼンチンの国境に行く。その後は色々な国のダンスを見ながらビュッフェを楽しめるディナーショー。 4日目…Parque Das Avesという鳥類園に行き、飛行機で帰宅。  サンパウロからブラジル側のイグアスの街まではバスで17時間かかる。お金に余裕がある人は往復航空券を買った方が体の負担はないと思う。私は行きはバスでも耐えれると思ったため、シートの中で一番良いCama(ベットになるタイプの椅子で、毛布や枕も付き、映画も観れる。)にした。それでも9000円程度であり、よく眠れるためそこまでの負担がなく、航空券よりは随分と安上がりだと思う。  アルゼンチン側のイグアスの滝では、滝壺に突っ込むことのできるボートツアーに参加した。桁違いの量の滝を浴び、間近で滝を見ることもできてとても楽しかった。またボートで移動している最中にトゥッカーノを見ることもできた。その後滝を見るための遊歩道を歩いているとハナグマに遭遇した。のそのそしていて可愛かった。アルゼンチン側の全ての滝見スポットを回ることはできなかったので、2日間アルゼンチン側のイグアスの滝を見ても良いかもしれない。  ブラジル側のイグアスの滝は、アルゼンチン側に比べ滝全体を見渡すことができた。またそれだけでなく、最後の地点では滝の麓近くにある遊歩道を歩くことができた。やはり滝の迫力がすごく、そこでもたくさんの水を浴びた。  さて。ブラジル側とアルゼンチン側、滝を見るという観点から考えるとどちらが良いと思ったかというと… 断然アルゼンチン側の方が、全体的に間近で滝を楽しめるという点で良いなと思う。人によって好みが分かれるので、ぜひ実際に行って目で確かめてみて欲しい:) ちなみに、アルゼンチン側での言語はどうしたかというと、ポルトガル語で無理やり喋った。案外通じた。もちろん観光地だからというのもあるだろうが、やはり少し似ているので伝わりはするのだろう。  滝以外にも、3国境に行った。今までの人生で実際に国境を目にしたことがなかったため、実際に目でみて「ここが国境なんだ」と感じると言葉にできない不思議な気持ちに包まれた。日が暮れて少しすると神秘的なダンスショーが始まった。国境で見るパラグアイ、アルゼンチンのダンスは魅力的だった。途中で、みんなで踊ろう!真ん中に集まってーという感じの場面があったため、友達と行ってダンスを楽しんだ。  また様々な国のダンスを見ることのできるディナーショーにも行った。これも小さい頃に行ったことがあったが、うっすらとした記憶しかなかったためその記憶を上書きすることができて嬉しかった。国特有の音楽、ダンスを見ていると、やっぱり「文化」っていいなあと感じ、胸が熱くなった。机には国籍の旗を置いてくれて、私たちは日本だったので色々な人が見て驚いてくれていた。  最終日には鳥類園に行った。そこには様々な種類の鳥がいて、アララやトゥッカーノを間近で見ることができた。それぞれ思い思いに鳴いていてとても賑やかだった。ちなみに、アララは私の靴に排出物を落としました、、笑 思いもよらない運がついて嬉しいような嬉しく無いような、、という気持ちだったが、そういうこともあるので要注意!笑 ・2回目の運動会(ibiúna)  ブラジルに家族がいる日本からの留学生に招待され、ご家族のお家に泊まらせてもらい、今年2回目の運動会に参加した。運動会の初めには恒例のラジオ体操をし、国歌斉唱。競技の内容は以前とほとんど同じで、私は100mと600mとリレーに参加させてもらった。100mは2位、600mは3位で少し悔しかったが景品として食料品を貰えたので良し! ・日本祭りとそのボランティア  7月にはFestival do Japãoがあった。先月からボランティアとしてブースの企画準備をしており、やっと本番となった。本番前日には実際に企業の方と面会し、担当場所の説明をしたのだが、とても緊張した。また空いているスペースがあったため、友人と協力し、開催準備で他のブースから出たゴミを集めて、富嶽三十六景の神奈川沖浪裏の貼り絵作った。前日準備は少し時間がかかり、帰宅は日付を回ったがなんだか文化祭の準備みたいで楽しかった。  日本祭りがどういうものかというと、日本に関する大きな文化祭りである。日本のアニメや漫画についてのブースやグッズ売り場があったり、各県(人会)がそれぞれの名産品を販売したりする。例えば、岡山だったらきび団子、愛知は味噌カツ丼、大阪はたこ焼き、などなど。日本祭りには日本人だけでなくたくさんのブラジル人が来ていた。中でもアニメのキャラクターのコスプレをしている方たちも多く、そのクオリティの凄さに驚いた。何度も同じことを言ってしまうが、やっぱり自分の国の文化を他の国の方達が愛してくれているのはとても嬉しい。  日本祭り1日目。思っていたよりもやることがなく、純粋に日本祭りを楽しんだ。念願のきび団子(岡山県人会)を食べたり、沖縄そば(沖縄県人会)を食べたりした。途中で県人会のお世話になっている方に出会い、千葉県人会の会長さんを紹介してもらえ、千葉県人会が出しているサーモンのお刺身や手巻き寿司、天ぷらをご馳走になった。ブラジルで食べるからか、今まで食べたことないくらい美味しかったのを覚えている。また、会長さんにお願いして日本祭り2日目に働かせてもらえることになった。  日本祭り2日目。2日目はありがたいことに千葉県人会と岩手県人会のお手伝いをさせてもらえることになった。朝9時頃に千葉県人会へ行き、お手伝いが始まった。何をするのかとドキドキしていたが、なんと接客だった。注文されたものを取り、お客さんの番号を呼んでお渡しするという形だったが、ブラジル人の方達に「あれ欲しい」や「これはどういう食べもの?」など色々と質問があったりして常にドキドキしていた。お刺身となるとやはり人気で、お昼時にかけてとても忙しかった。14時頃に岩手県人会の会長さんに呼ばれ、今度は岩手県人会のお手伝いをすることになった。お昼はうどんをご馳走になり、その後19時までお手伝いをした。とても忙しい、というわけではなかったので、そこにいるブラジル人の方とたくさんお話をして少し仲良くなることができた。  日本祭り最終日。最終日は少しだけお店を回った後、岩手県人会のお手伝いに行った。最終日にきび団子を5パック買ってストックしておこうと考えていたが、なんと午前中にはもう売り切れていて泣く泣く諦めた。悲しい。その後16時頃に岩手県人会のお手伝いに行った。岩手県人会の方々はとても優しく、居心地が良かった。青森県人会で売っているりんごアイスを買ってきてくれたり、色々な食べ物をご馳走してもらった。20時になり、閉店の準備が始まり、そこであがらせてもらうことになったのだが、たった2日間でも居心地が良かったためお別れする時は寂しかった。  事前準備、そして3日間を通して、たくさんの貴重な経験をさせていただけた。少し忙しくはなったが、確実に自分にとって良い影響があった。また約11年前にお客さんとして来ていた場所にこうして戻れたことは感慨深く、良い思い出となった。 ・Atibaiaの農家さんのお手伝い&日本語学校見学  知り合いの紹介で、USPからバスで1時間半ほどの場所にあるAtibaiaという町の日本人農家さんのお手伝いをしに行った。Atibaiaも日本人が多いとされている町である。サンパウロで栗を栽培しており、基本的に駐在員の方や日本人の方に販売している。栗のロールケーキを作ったり、栗のマドレーヌを作ったりなどなど、日本にいてもあまりやることのない作業を経験させてもらえた。個人的に栗が大好物なため、久々に栗を食べることができて感動した。また、空いている時間にAtibaiaの日本語学校を見学させていただき、その際に教科書を見せていただいたり、サッカーのエージェントをしている方のお話も聞くことができた。また8月に行われる運動会にも招待していただけたので、おそらく参加するであろう。(n回目) ・お部屋での自由生活  7月後半は私以外の部屋の人が皆旅行や地元に帰っており、1人で過ごしていた。4人用の部屋なのでキッチンや共同スペースも広めであるため、友達を呼んで映画パーティーをしたりした。またキッチンを自由に使えるため、ブラジルで初の肉じゃがを作ったり、大学芋を作ったりしてとても楽しい時間だった。 ・サンパウロ案内  ブエノスアイレス(アルゼンチン)にいる神田の先輩とその友人がサンパウロにくるため、サンパウロを少しだけ案内することになった。とは言っても私の用事の関係で、案内できたのはリベルダージだけだった。しかしながら、ウチナーンチュ大会のボランティア以来久しぶりに先輩に会えるのと、「自分がサンパウロを案内する」という立場は初めてだったのでワクワクしていた。やはりリベルダージほど、買える程度の値段で日本食が売っている場所は無いようで、驚いていたのが印象に残っている。少し案内してみてわかったのは、「この数ヶ月でちゃんと自分のポルトガル語は成長していた」ということと、「まだまだサンパウロについて知らないことがたくさんある」ということで、それらを確認できるいい機会となった。またそれとは別に、私が会ったことのない、5年ほど前に神田に留学に来ていたブラジル人ともお話できた。先輩のお友達もそうだが、普通に過ごしていたら会うはずのない人たちとこうして出会え、”出会に感謝する”というのはこういうことかと感じた。 ・おもてなしプロジェクトの山登り  JCIブラジル・ジャパンによって行われているブラジル人と日本人の交流イベントがあり、その第一回目のプロジェクトに参加した。Mirante da Pedra Grandeという小さい山をみんなで登るというもので、とても疲れたが楽しかった。やはりサンパウロには日本人が多いなと改めて感じた。ブラジル人の同い年くらいの子と話をすることができ、新しい場所も知ることができて有意義な時間となった。 行き帰りは貸切バスを使っての移動だったが、帰りのバスにクレジットカード2枚とRNM、部屋のカードキーが入っているケースを忘れてしまうという大失態という言葉じゃ足りないくらいの失態を犯した。運転手の方と会話を交わしていたからか、優しかったからか無事手元に戻って来たためよかったが(不正利用もなし)、一歩間違えれば大変なことになっていたと、後から考えると恐ろしい。疲れていると少し注意力が欠けてしまうというのはしょうがないことだが、だとしてもここは日本ではないため気を引き締めたい。 ・日本人留学生とのお別れ  冬休みになり、半年で留学を終える人たちは皆帰ってしまった。何人かの日本人は、空港までお見送りに行ったが、日本でまた会えるとはいえ少し寂しい気持ちになった。それと同時に、半年後の自分はどんな顔どんな気持ちでブラジルを発つのだろうと考えた。きっと、ブラジルにまだ居たいと思っているのだろうな、そうでありたいな。と思った。 [住居]  最近になって、気になることが増えてきた。その中で特に嫌だなあと感じたのは、”使った食器をすぐに洗わない” ”こぼしたものを拭かない”ということである。それに対する不満はたくさんあるのだが、それはさておき、その散らかった写真をブラジル人の友人に見せると「これは家政婦さんのことが関係しているかもね。」とのことだった。私が住んでいるアパートは、サンパウロの最低月収以上の家賃であるため、ブラジル人であればいわゆる“お金持ち”が住む場所である。ブラジルでは大体、ある程度裕福な家庭は家政婦さんを雇っている。洗濯や掃除は全てその方に任せっきりである。そのため、その家庭で育った子供たちは片付けの仕方や整理整頓の仕方をしっかりと教わらないことがあるよう。なるほどそういうことか!と納得はしたが、とはいえ、そのまま放置すると使いたい場所や食器が使えなくなるため、お部屋のグループラインで共有スペースの片付けについて話した。幸いなことに私を含めた4人中もう1人も散らかり具合が気になっていたようで、少し気が楽になった。改善するといいなあと思うが、すぐ元に戻りそうな気もするため、また声をかけるとなると憂鬱だなあと思う。私のアパートの清掃管理は全て本人たちに委ねられているため、こういう点を考えれば、Dono(大家さん)がいる部屋を選んだ方が気が楽でいいのかもしれない。 [授業]   7月にはほとんどの授業が終了していた。今月はまだ日本文化のテストと留学生向けの授業のレポートが残っていたが、その内容は先月の留学報告書の通りである。今学期はあまり多くの授業をとっていないにも関わらず、復習にたくさんの時間を費やしたと思う。来学期こそは言語心理学やスポーツ系の授業をとりたいなあと考えているが、どうするかは8月の履修期間に見学、体験して決めたいと思う。ちなみに成績はまだ出ていない。ドキドキ。 ※以下はサンパウロへの留学を考えている方へ。参考までに知っておいた方が良い情報を掻い摘んで書いています。(上記と重複有り) あくまでも私の知見です。 —————————————————————————————————————————————————ーーー [旅行(イグアスの滝)] ・航空券  当たり前ですが、旅行に行く日付が決まっている場合は、早めにチケットを買った方が無駄なお金を出費しないで済みます。日付が近づくと一気に値段が上がります、、、:( ・時期  イグアスに行くのは、基本的には雨季(10月-3月)が水量が多くておすすめです。ただし、当然雨が降ることも多いので、天気の写真を撮りたいのであれば乾季(6-8月)がおすすめです。 ・アルゼンチン側のイグアス  ブラジルからアルゼンチン側に渡るバスがいくつか存在します。それらを利用した方が安くすむので良いです。また、ネットに載っているバスの情報は意外と古かったりするので、周りの人に聞いてみた方が良いです。ちなみに、アルゼンチン側に数日滞在する場合は、途中でバスを下車して出国手続きが必要となります。 ・ボートツアー  アルゼンチン側、ブラジル側両方にあります。個人的アルゼンチン側の方がおすすめです。想像よりもたくさん水を浴びるので、カッパを持っていくと良いです。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
2023-06
月次報告書6月分
実のある時間たち
 6月は念願のリオに旅行することができた。それと同時に6月は前学期終了に向けてレポートやテストの時期であり、とてもとてもとーっても苦しんだ。そんな中色々なイベントに参加することも多く、Festival do Japãoのボランティアとしてお手伝いさせていただくことも決まり、充実しつつも慌ただしい1ヶ月だった。 [気候]  朝晩が冷えるのはもちろんだが、最近はお昼でもトレーナーを着用することが多くなってきた。とはいえ暑い日もあったりするので服装や体調管理には充分気をつける必要がある。 [生活] ・念願のリオデジャネイロ〜  6月初めにある4連休を使ってリオデジャネイロに旅行した。サンパウロからはバスで7時間ほどで着く。往復10000円ほどで行くことができるためバスでの旅行はとってもお得。リオで案内してくれたブラジル人は、実はかつて私とHelloTalkでお話しし、日本語会話教室に招待してくれた人であり、現在は直接連絡をとっていたわけではなかったため突然の偶然にとても驚いた。ブラジルに来てから偶然がとても多くて、驚いている。    リオにいる間は、友人が住んでいるニテロイにAirbnbでホテルを取った。1日目はバスで到着した後、Uberでホテルへと向かった。助手席に座ったため、一見怖そうだなあ、、と思いつつもUberの運転手さんと色々お話しした。とても優しく、色々と紹介してくれ、道の途中にあるリオのサンバドロモにも寄ってくれた。おそらく親切心で「明日色んなところ連れて行けるよ〜」と言って連絡先を渡してくれたのだが、信用するのも危ないのでありがとう!また連絡するね!と言い、その場を凌いだ。降りる時には以前から知り合いだったかのように寂しがってくれ、ブラジル人ならではの温かさを感じた。タクシーの運転手さんはやはり現地のことを知っているので、お話しするといい情報を得られるかもしれない。ニテロイに到着した後、ニテロイのMuseu do Arte Contemporânea de Niterói(ニテロイ現代美術館)に行った。その後ビーチに行き、ビーチバレーをした。ニテロイは比較的安全な方のようで、穏やかだった。海の水は綺麗とはいえないが、砂浜はとても白かった。ブラジルで初めての海だったのでとても嬉しかった。その後ブラジル人友人の宅に行き、カラオケをしたりゲームをしたりした。    2日目はリオ市内に船で渡り、Palácio Tiradentes というブラジル国民会議の本拠地であった場所に行った。その周りの道はどこかヨーロッパを感じさせる建物や景色が広がっていた。Banco do Brasilの博物館に行ったり、Confeitaria Colomboという歴史あるカフェにも行った。そこではぐちゃぐちゃになったタルトを提供されそうになったり、全く違う物を代わりに持ってきて、「これでいいよね?」と言われたりして非常に困惑したが、自分の意見を伝える良い練習になった。これがブラジルなのか、それともたまたま運が悪かったのかはわからないが思い出エピソードになったので良い。次は観光地で有名なEscadaria Selarón(セラロン階段)へと歩いて行った。その道中にはCatedoral Metropolitanaという大きな教会があったのだが、その付近や階段の近くの白い橋がある広場は明らかに治安が悪いということを肌で感じた。セラロン階段まで着けば、観光客がたくさんいるので安心である。芸術的なアートがたくさん並んでいて、感動した。またカイピリーニャがとても安く売っていたのも印象的である。一度ホテルに戻った後、近所のFesta Juninaに行った。そこのFesta Juninaは屋台がたくさん並んでいて、雰囲気は夏祭りに近く、少しだけ日本の夏を懐かしく感じた。PamonhaやMaçã do Amor、Morango com chocolateなどなどFesta Juninaならではのものを食べた。また神田の授業で練習したQuadrilhaも踊ることができ、とても楽しかった。皆和気藹々と楽しんでいて、よかった。またリオの大学に留学している日本人とも会うことができた。    3日目は午前中にコルコバードのキリスト像へ行った。ロープウェイに乗るお金として4000円ほどかかる。行くのであれば午前中の朝早くに行った方が空いており時間待ちをする必要がない。15分ほどかけて急斜を登っていき、階段を登った先には大きなキリスト像が立っていた。画像でしか見ていなかったものが目の前に立っているという事実に感動した。またそれだけではなく景色も壮大だった。やることといえば写真を撮ることぐらいだが、景色がとても綺麗なため時間があれば私は2時間は見続けれたと思う。その後自転車を漕ぎIpanemaの海岸を横目に見ながらPão de Açúcarに到着した。入場料は約5000円だった。私は以前まで、あの2つの山でPão de Açúcar だと思っていたが、どうやら小さい方の山はMorro do Urucaという名前らしい。まずその小さい方の山にロープウェイで行き、そこで乗り換えてPão de Açúcarへと向かった。本来日の入りに合わせて到着する予定だったが、すでに日が暮れて真っ暗だった。しかし夜景ももちろん綺麗で、見渡すとたくさんの光があった。よくある「自分の悩みがちっぽけに」とは思わなかったが、光の一つ一つにそれぞれの人生があって、色んな生き方をしていると考えると言葉で表せない気持ちに包まれた。下山の際はロープウェイ街の長蛇の列ができていた。夕食はコパカバーナの海岸沿いにあるシュハスカリアに行った。当たり前だが運ばれてくるお肉たちはとてつもなく美味しかった、、。そこにはお寿司もあり、初めていちご寿司を食べた。もう二度と食べないだろう。笑   行けなかった場所もあるが、サンパウロからはそう遠くなく交通費も高くないのでまた来たい。 ・LGBTQ+プライドパレード(ゲイパレード)  本来が行われる日もまだリオにいるはずだったが、世界最大級とも言われるイベントを一目見るために先にサンパウロへ戻ってきた。パウリスタ通りではこういった大きなイベントがよく行われる。友人と共に行く予定で、友人を待ち、行った時にはパレードはすでに終わりかけていた。とても残念だった。しかしながら沢山の人がまだいたことからお昼にはとてつもない量の人が集まっていたことが感じられた。あたりは虹色のフラッグがたくさん広がっており、人々は虹色のグッズを身につけていた。虹色のフラッグは、LGBTQのモチーフであるだけでなく、もはやファッションにもなりつつあるのだと感じた。こういった活動が大きく行われるのはとてもいいことだと思うし、大方良い方向へと繋がると思う。ブラジルは日本と比べて行動に移すのが速く、変化に対応するのが速いのは良いところだと思う。しかしもったいないなと思ったのは、モチーフであるLGBTQの旗が沢山道端に捨てられていたことである。また道端でトイレをしていたり、薬物を吸っていたりしていた。せっかくの良い活動をしているのに、残念だなと感じた。 ・フェスタジュニーナ  FFLCHでもフェスタジュニーナが行われたのた。BrigadeiroやBeijinhoを食べたりした。ちょっとした豆知識だが、こういった学部のフェスタにはEspecialと食べ物の名前についていたりする。例えば、Brigadeiro Especial。これはMaconha(マリファナ)が入っていることを意味する。またマリファナ入りのものはメニューに葉っぱのマークがついていたりするのでわかりやすくていいが、不安な人は毎回マリファナが入っているかどうか確認した方が良い。実際私は確認した。とても驚いたのはBrigadeiro Especialが、値上げをしても売り切れるほど人気だったことである。私の友達もそれを買っていてとても驚いた。摂取するのは絶対に避けたい。 少し時間が経った後、恒例のQuadrilhaがあった。もちろん踊ったがとても楽しかった。また焚き火を飛び越えるのも遊びとしてあるらしく、私も飛び越えてみた。 ・陸上部  念願のFFLCHの陸上部に参加することができた。レポートや冬休みに入ることでまだ本格的には参加できないとは思うが、渡航前から決めていたのでとても嬉しい。練習は雇っているコーチの練習メニューをもとに行われている。正直な話、練習メニューが自分にあっている気はしないが、参加して一緒に練習することに意味があると思っているため、時間がある時には参加したい。 ・TUDUM (NETFLIXのイベント)  イビラピエラ公園でTUDUMという大規模なNetflixのイベントがあった。そこにはONE PIECEやイカゲームなどのブースもあった。チケットさえあれば誰でもテーマに沿った無料のゲームに参加できる。ロッククライミングをしたり、写真を撮ったりして楽しんだ。サンパウロではかなりの頻度でこういった大規模なイベントが開催される。それもサンパウロの良いところの一つだと思う。 ・日本祭りのボランティア、事前準備(留学生の会)  駐在員の方のお誘いで、7月に行われる日本祭りという大きな文化祭りのボランティアをさせていただけることになった。今年の日本祭りのテーマはMottainai(もったいない)で、それにちなんだ小規模のブースを作ることになっている。約5社ほどの企業がそれぞれMottainaiの取り組みを展示するのだが、そのうちのひとつの企業とのやりとりを任された。よく概要を理解できていない上に、企業の人相手にポルトガル語を使うのは初めてなのでとても緊張しつつも、レポートの時期なので上手く時間を使い分けながら頑張っている。日本祭り自体には約11年前に訪ねたことがあり、こうした形でまた関わることができるのは本当に嬉しい。都道府県人会が主催で行っており、その会議にも参加した。県人会の皆さんはとても温かく、私の心も温かくなった。 [授業]  USPでは学期末に向けて、レポートと試験の時期となっていった。今学期は4つの授業を履修しているが、1つは試験で、残りの3つはレポートだった。日本文学の授業の試験は、記述問題が2題出され、3人で話し合い論述して答えるというものだった。初めはブラジル人と組んで試験に臨む予定だったが、それだと私にとって良い経験にならないと考えたため、先生にお願いして辞書ありで1人で試験に臨ませてもらった。おそらく3人で組んだ方が文章量的には書けたと思うが、実際に1人で文章を考えることができたのは良い経験だったと思う。日本文学の期末課題はは、自分の好きな日本文学を選び、それを誰かに紹介する手紙を書くことだった。読む文献は日本語だったが、たくさんの文章を書くのはやはり大変だった。留学生向けの授業の課題は、今まで受けた授業の中から調べたい内容を選びレポートを書くというものだった。約14回の授業の中から好きな授業を選べたので、その分少しだけ楽しかった。4つの中で一番辛かったのがブラジル文学の課題で、3セットの詩の中から1セット選び、その詩の比較分析を行うというもので、単語数は約2000単語だった。ブラジル人にとっても難しいと言われている授業で、授業内容も約3割程度しかわかっていなかったためその上で分析するのは大変だった。詩の分析というのも単に表面的な分析ではなく、ブラジルの社会背景に結びつけ、根拠づけなければならなかったので提出するまでたくさんの時間がかかった。友人がくれる少しのヒントをもとに、終わった時には大きな達成感があった。全ての課題を期限内に終えられたが、単位を無事取れるかどうか、ドキドキしている。 [お菓子] 今回は今思いつくお気に入りのお菓子を紹介したい。 ・Doce de leite 液体状のキャラメルのようなもので、約3×4cmほどの密封のパックに入っており、約60円ほどでよくスーパーで売っているのだが、私はこれを溺愛している。基本的には袋を切って食べる(飲む?)が、パンにつけたりポップコーンにつけたりしてもとても美味しい。 ・BiS キットカットに似ているお菓子だが、より軽い食感で食べれ、それに加えて美味しいので気をつけないと沢山食べてしまう。。。約210円で売っているのだが、約11年前はもう少し安かった気もする。 ・tic tac ラムネとmentosの間のようなお菓子で、いろいろな味がある。約100円。私は特にオレンジが好きで、スカッとしたい時にたまに食べる。アメリカのお菓子で、ブラジルにはあるが日本に似たようなものは置いていないので、帰国するまでに沢山楽しみたい。 ・Baton チョコレートのシンプルなお菓子で、形は小さい筒状。一本60円ほど。チョコレートやホワイトチョコ、いちご味、チョコの中にホワイトチョコが入っているものなど色んな種類がある。 ・Tortuguita カメの形をしたチョコレート。ブリガデイロをチョコでコーティングしたようなもの。 ・Sonho de bolsa ピーナッツのペーストが中に入っているチョコレート。ボンボン。 ・Ouro Branco ウエハースとピーナッツのクリームが入っており、ホワイトチョコでコーティングされている食べ物。これもボンボン。 ※以下はサンパウロへの留学を考えている方へ。参考までに知っておいた方が良い情報を掻い摘んで書いています。(上記と重複有り) あくまでも私の知見です。 ——————————————————————————————————————————————————————— ・期末テストや期末課題の留学生優遇  授業を完璧に理解できてない上に、ブラジル人と同じ試験や課題を行うのはかなり大変だと思います。先生に自分が留学生であることを伝え(初めの授業の時も)、何か処置があるかどうか訪ねましょう。テストを免除してくれたり、辞書ありを許可してくれたり、採点を少し甘くしてくれたりする場合があります。もちろん先生によるので、何も優遇処置がない場合もあります。その場合は、頑張りましょう、、 ・ボランティア活動など  サンパウロは駐在員の方が多く住んでおり、そういった方と接点があればボランティア活動などに参加できる機会は沢山増えます。海外でのそういう経験は必ず良い経験や思い出になると私は思っています。駐在員の方が行なっている「留学生の会」というものもあります。 ・リオでのおすすめ  バスで行くのであれば、到着するバスターミナルは大体決まってくるとは思います。少し危ないようなので到着する時間帯には気をつけましょう。コルコバードのキリスト像は、朝イチで行くのがおすすめです。午後に行くと混雑してしまうのに加え、逆光になってしまいます。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
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